兵庫県保険医協会

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兵庫保険医新聞

2013年1月05日(1707号) ピックアップニュース

女医の会インタビュー(10) 父の背中見て産婦人科に一筋 灘区  船曳 和子

1707_10.jpg 私の実家は四国で代々医師をしている家系でしたが、戦争で父の兄弟はみんな亡くなってしまい、父は一人で家族を支えていました。外科病院長だったので、家に帰ることが少なく、とても忙しそうでした。自分も医師になって父の力になりたいと思いました。まだ女学生だったときに、父が執刀する帝王切開の手術を見て命の尊さを感じたことも、産婦人科医になった要因かもしれません。
 医師になってからは、大学病院の産婦人科で7年間勤務していました。忙しくても父を見ていたから、産科をやめる気はなかったですね。結婚して、子どもができて開業を決めました。
 助産師さんが高齢になったこともあってお産はやめてしまいましたが、昼夜問わない開業医の産科にはスタッフも集まりにくいですね。勤めている看護師さんは本当にえらいと思います。医師が複数人常駐し、スタッフが充実したセンターがあれば、医師もスタッフも家庭を犠牲にしなくて済むんじゃないかしら。お産は危険も伴うし、最近は訴訟も多い。周産期センターを県で整備することが絶対に必要です。
 医師になって良かったことは、一生勉強していられること。医学は日進月歩で、新しい技術や知見がどんどん出てきます。好奇心は強い方だし、知らないことがあるのが不安で、協会などの研究会には積極的に参加しています。
 子どもは3人いますが、幸い舅・姑のおかげで育児に戸惑うことも少なく、1人は絵本作家に、2人は医師になりました。しかも1人は、忙しいのを知りながら産婦人科医に。仕事に打ち込んできたので、さみしい思いをさせてしまったんじゃないかとずっと考えてきましたが、私が忙しい父を助けたいと考えたように、子どもたちも私を見て何か感じてくれていたのかなあと思っています。
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