兵庫県保険医協会

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兵庫保険医新聞

2015年1月05日(1771号) ピックアップニュース

新春インタビュー(2) 「いつか来る」災害へ備えを

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兵庫県災害医療センター センター長
中山 伸一先生
【なかやま しんいち】1955年生まれ。80年神戸大学医学部卒業、第一外科学教室入局、89年同大学大学院医学研究科修了、90年米国Cleveland Clinic Foundation研究員、92年神戸大学附属病院救急部、97年同大学大学院医学系研究科環境応答医学講座災害・救急医学分野助教授、2003年県災害医療センター副センター長、12年4月同センター長(兼神戸赤十字病院副院長)、現在に至る。
阪神・淡路大震災を機に、災害医学と救急医学、なかでもpre-hospital careを活動の原点とし、国内外の災害に精力的に出動しているだけでなく、日本DMAT研修の西日本総責任者として、後進の実践的教育にも力を入れている

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聞き手 西山 裕康副理事長

 いつ来るか分からない大規模災害にどう備えるか−−。阪神・淡路大震災の教訓を生かそうと、神戸市につくられた県災害医療センターの取り組みについて、センター長の中山伸一先生に、神戸大学第一外科の後輩である西山裕康副理事長が聞いた。

災害医療の司令塔
 西山 阪神・淡路大震災から20年となりましたが、東日本大震災をはじめ、豪雨や火山噴火など、毎年のようにさまざまな災害が起こっています。今後数十年以内には、南海トラフ大地震が起こり、大被害を及ぼすとも予想されています。このような中、どのような備えが必要なのでしょうか。このセンターは、災害時の医療の拠点になるということですね。
 中山 はい。当センター内の情報指令センターが、災害医療の司令塔となります。県内の病院、消防機関など400施設が参加する県広域災害救急医療情報システムを通じ、各病院の被災状況や受け入れ態勢、災害派遣医療チーム(DMAT)、ドクターカー・ドクターヘリを出せるかなどの情報を集め、医療支援が円滑に進むよう、出動命令や受け入れ要請を行います。
 西山 このような施設は、これまではなかったのでしょうか。
 中山 そうですね。阪神・淡路大震災の時に被災地内外で医療の情報交換ができなかったという反省と教訓をもとに、災害時に医療の司令塔となれるような医療機関をつくろうと、兵庫県で検討会を重ね、2003年に開設されました。私も震災時に神戸大学の救急部にいたことから、関わってきましたが、「いつ起こるかわからないものに予算は出せない」などという意見もあり、開設まで8年かかりました。
 西山 いざというときにならないと必要性が感じづらいのが、災害対策の難しいところですね。平時はどうされているのですか。
 中山 高度救命救急センターとして、年間900件前後の救急を受け入れています。バックアップ病院として隣の神戸赤十字病院と一体的に運用され、当センターは重症の3次救急に特化し、1・2次は赤十字病院が引き受ける形になっています。また、DMATの西日本の研修施設となるなど、災害医療に関する研修を実施したり、マニュアル作りを行っています。
JR福知山線脱線事故にも出動
 西山 開設から12年経ち、実際にセンターが機能されたご経験は。
 中山 センターができた翌年04年の台風23号で豊岡市の円山川が氾濫した際にはじまり、その後も新潟県中越地震、同県中越沖地震、東日本大震災と医療チームを派遣しています。正直なところ、これほど災害が続くとは思っていなかったですね。
 西山 本当に多いですよね。05年のJR福知山線の脱線事故にも、出動されていますね。
 中山 ええ。事故の第一報は「30人の踏切事故」でした。それでも大事故なので、通常の倍の医師2人、看護師2人、救急救命士4人を乗せたドクターカーをすぐ出動させました。情報指令センターが中心となって、神戸・阪神南北の病院168に情報を発信し、受け入れ要請を行い、21医療機関が現場や周辺病院の応援に入ったのです。
 西山 福知山線の事故現場では何をされたのですか。
 中山 災害医療の「3T」、トリアージ、トリートメント、トランスポートです。まず、トリアージとして、被害者の重症度の判定を赤・黄・緑・黒に分け、トリートメント・治療を行い、トランスポート・受け入れ可能な医療機関に搬送しました。
 このとき情報システムはできていたものの、医療チーム派遣の体制はまだできていませんでしたが、この事故では「プリベンタルデス(救助体制がきちんとしていたら避けられた犠牲者)」はいなかったと言われています。これは阪神以来の地域の医療機関の反省や意識、研修のおかげだったと思っています。この経験が今のDMATにつながっています。
 しかし、「30人の踏切事故」とした第一報のように、正しい情報を得る難しさも実感しました。初期対応後、医療チームは、消防に救出者がいないことを確認し引き揚げたのですが、その後、マンション1階に入り込んでいた1両目に、最後の救出者がいると分かり、現場に戻りました。1両目は線路をはさんで指揮本部の反対側にあったため、情報伝達がうまくいかなかったのです。半径100メートルという狭い範囲の災害でも情報伝達は困難となるという象徴的な出来事だったと思っています。
慢性期への引継ぎが課題

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情報指令センターで情報システムを見学

兵庫県災害医療センター
 2003年に神戸市中央区に設立。高度救命救急センター、基幹災害拠点病院として救急医療および災害医療を担う。病床数30床(ICU10床、熱傷2床、HCU8床、一般10床)

 西山 4年前の東日本大震災は、大規模な広域災害でした。
 中山 ええ。全国各地のDMATが出動しました。兵庫県のDMATも、翌日には当センターや災害拠点病院から11チームが現地入りし、いわて花巻空港SCU(広域搬送拠点臨時医療施設)等で活動しました。私は、このSCUの統括業務と、1カ月後の4月8日から11日に宮城県石巻合同救護チームの統括業務応援などを行いました。
 大規模災害のときは、病院も被災し、停電もあり、必ず情報が混乱します。その中で、情報がなかったら待つのではなく悪い事態を想定し、まず部隊が入り、現場の支援をしながら、衛星回線などを使い情報発信を行う。この体制作りが少しは進んだと思っています。
 一方、最大の反省点は、DMATから、他の救護班や医師会のJMATなど、慢性期対応へ引き継ぐ際の情報共有でした。チーム内では情報共有しても、チームを超えての交流や共有がうまくいきませんでした。
 西山 慢性期への対応となると、開業医のわれわれにも、できることがありそうです。
 中山 ええ。災害医療というと、現場に駆けつけての急性期医療がイメージされがちですが、避難所にいる被災者の方々の普段の健康管理をどうするかという慢性期が最大の問題です。そこは、普段から患者さんのことをよく分かっておられる地元の開業医が一番強い点だと思っています。避難所生活のなかでストレスもたまり、経済的な心配もある被災者の方の健康管理は重要です。
 DMATは国の研修制度もあり、診療報酬上も評価がありますが、慢性期対応への評価ももっと必要ではないかと考えています。
 また、災害時にトリアージを行い一番多いのは、「緑」の軽症の人です。基幹病院がすべて受け入れると、肝心の「赤」の人を診れなくなる可能性があります。近くで災害が起こったとき、軽症者だけでも受け入れるという申し出は大変ありがたいですね。
災害医療システムをどう機能させるか
 西山 今後、南海トラフなどの大規模災害が発生するとされていますが、これに対してはどのような備えをされていますか。
 中山 どれだけ大規模でも、災害拠点病院やDMAT・JMATと協力し、阪神・淡路大震災後、作ってきた災害医療システムをどう機能させるかだと思っています。
 災害への意識が高いといわれている兵庫県でも、阪神・淡路大震災から20年となろうとしているなか、まさかのときへの備えの意識が薄れてきているのではと感じることがあります。各病院で災害時のマニュアルづくりが行われていますが、今となっては実情にあわない部分もあり、見直していただく必要があると思います。私たちも、災害拠点病院・中核病院と共同した研修や訓練にさらに力を入れたいと思っています。
 さらに、援助を受ける「受援」の難しさがあります。駆けつけたDMATに何をしてもらうのかが指示できなければ、逆に負担になってしまいますので、そのときのキーパーソンとなる「災害医療コーディネーター」を育成中です。10の医療圏の災害拠点病院の救急の長になっていただいていますが、慢性期への対応も考え、医師会の先生方や保健所にも担っていただく方向になっており、災害に備えた体制づくりをもっと進めていきたいと考えています。
 西山 日ごろから意識していくことが大切ですね。本日はありがとうございました。
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