兵庫県保険医協会

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兵庫保険医新聞

2025年5月25日(2102号) ピックアップニュース

プレインタビュー 6/8 14:00~
オンラインイベント「みんなで語ろう窓口負担ゼロ」
窓口負担を憲法からどう考える?

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伊藤 真弁護士

 「人権保障から考える『医療費窓口負担ゼロ』」--。6月8日に兵庫協会が千葉協会、神奈川協会、大阪歯科協会と共催するオンラインイベント「みんなで語ろう窓口負担ゼロ-お金の心配なく医療にかかれる社会に-」にてメイン講師を務める伊藤真弁護士に、企画を前に、医療費窓口負担の問題点について、憲法学の立場から西山裕康理事長がお話を伺った。

 西山 日本国憲法において、国民が医療を受ける権利はどのように位置づけられているのでしょうか。
 伊藤 医療を受ける権利は、憲法25条に規定された生存権に基づくものです。25条には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあります。医療はこの生活を支える重要な要素であり、医療を受ける権利は生存権から派生して保障されています。加えて、憲法13条後段の幸福追求権から導かれる自己決定権、さらに適切な医療を受けるために必要な情報を得るという意味で、21条の表現の自由から導かれる「知る権利」も関係しています。医療を受ける権利は、何より憲法13条前段の「個人の尊重」を根幹として、こうした複数の人権に支えられたものと考えるべきです。
 西山 根幹とされる13条の「個人の尊重」は特に重要な要素のように思えます。もう少し詳しく教えていただけますか。
 伊藤 憲法13条は、「すべて国民は個人として尊重される」と定めており、これは人間としての尊厳を最大限に尊重するという、憲法の基本原理の一つです。原理とは例外を認めないものですから、制度設計や政策立案はこの原理に基づいて行われるべきです。医療制度も例外ではありません。人が自分らしく生き、健康を保つための制度は、まさにこの「個人の尊重」の具現化であり、その意味でも医療のあり方は極めて重要なのです。
 西山 ところが最近では、医療費の窓口負担が引き上げられたり、診療報酬の抑制に物価高騰が加わったりして、医療機関の経営が危機に陥るなど、憲法の理念に沿った制度設計とは言いがたい状況も見られます。そもそも25条の「最低限度の生活を営む権利」とは、どのような水準を意味するのでしょうか。国の責任はどこまで問われるべきでしょうか。
 伊藤 25条が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」は、単に命をつなぐだけのレベルではありません。人間としての尊厳を保ちながら生活できる水準を意味します。特に医療については、日本が批准している「国際人権規約」にもとづき、「到達可能な最高水準の健康を享受する権利」が認められています。ですから、経済的な事情によって医療の質に格差が生じるのは問題です。憲法は国際条約と整合的に解釈されるべきであり、窓口負担の引き上げなどは、その精神に反すると私は考えます。
 西山 日本では年齢によって窓口負担割合が異なります。この仕組みは、憲法14条の「法の下の平等」と矛盾しないのでしょうか?
 伊藤 14条が定める「法の下の平等」は、すべてを一律に扱うことを求めているのではなく、実態に即した「相対的平等」も含んでいます。つまり、違いがある場合には、それに応じた対応も憲法上認められるのです。例えば所得によって医療費や保険料の負担に差があることは、憲法上許容される範囲内です。しかし、窓口負担については、個人の所得ごとに細かく調整するのは現実的に困難な面があります。だからこそ、原則として窓口負担をなくすことで、実質的な平等の実現を目指すことができると考えています。
 西山 最近では、高齢者の医療費負担を引き上げる必要性として、現役世代の負担の重さが強調される議論も多く見られます。
 伊藤 はい、そうした議論が高まることで、世代間の対立が生まれてしまうのは非常に問題です。年齢や世代で人を分け、差別することには、私は強く反対します。誰もがいずれ高齢者になるのですから、これは他人事ではありません。社会保障は世代を超えて支え合う仕組みであるべきです。医療の負担も、若者が高齢者を支えるという単純な構図ではなく、社会全体で負担と受益を共有する制度にしていくべきだと考えています。世代間の分断を避けるためにも、制度設計には十分な配慮が必要です。
 西山 ありがとうございました。先生のお話を伺い、当日がますます楽しみになりました。当日もどうぞよろしくお願いいたします。
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