医科2025.11.08 講演
[保険診療のてびき]
関節リウマチ診療に潜むクリニカルイナーシャ -その実際と対策-(2025年11月8日)
神戸大学医学部附属病院 膠原病リウマチ内科 病院教授・診療科長・リウマチセンター長 三枝 淳先生講演
はじめに
関節リウマチ(rheumatoid arthritis:RA)は、関節滑膜を炎症の主座とする全身性自己免疫疾患であり、炎症の持続によって関節破壊や変形を来たす。かつては「不治の病」とされていたが、疾患修飾性抗リウマチ薬(DMARDs)や生物学的製剤、JAK阻害薬の登場により、寛解を現実的に目指せる疾患へと変化した。この20年でRA診療は劇的な進歩を遂げ、まさにパラダイムシフトの時代を迎えている。その一方で、治療目標が達成されないまま治療が惰性的に継続される「クリニカルイナーシャ(clinical inertia)」が課題として残されている。関節リウマチの病態と治療目標
RAは、遺伝的素因に加え、喫煙・歯周病・腸内細菌叢などの環境因子が関与し、免疫寛容の破綻を介して自己免疫反応が惹起されて発症する。関節滑膜内ではマクロファージ、線維芽細胞、T細胞、B細胞などが活性化し、炎症性サイトカインやメディエーターの放出を通じてパンヌス形成と骨破壊が進行する。RA診療では、従来の対症療法中心の発想からTreat to Target(T2T)の概念が導入され、疾患活動性を定量的に評価して寛解を目標とする治療が標準となった。DAS28スコアなどによる客観的評価が一般化し、関節破壊や身体機能低下の抑制、生命予後の改善が可能となっている。私たちが関西多施設ANSWERコホートデータベースを用いて行った研究でも、RA患者の約4割が臨床的寛解、約8割が低疾患活動性を達成しており、RAが「制御可能な疾患」となったことが裏付けられた。
抗リウマチ薬の進歩
RA治療の基盤は従来型合成DMARDsであり、その中核をなすのがメトトレキサート(methotrexate:MTX)である。葉酸代謝拮抗薬であるMTXは、RAにおいてアデノシン経路を介して抗炎症作用を発揮すると考えられている。細胞内でポリグルタメート化されて作用するため、週1回の投与で有効性を示す。原則として葉酸製剤を併用する。関節破壊の抑制および生命予後の改善効果が報告されている一方で、肝障害、骨髄抑制、リンパ増殖性疾患、間質性肺炎などの副作用に注意が必要である。現在は皮下注製剤のMTXも使用でき、消化器系の副作用が少ないと言われている。生物学的製剤(biologics)は、TNF-αやIL-6などのサイトカイン経路を標的とする蛋白製剤である。炎症および関節破壊の進行を強力に抑制する高い有効性を有する一方で、感染症リスク増加や高コストといった課題も抱えている。当科のデータによると、バイオ製剤およびJAK阻害薬の使用率は約4割に達しており、難治症例の治療において中心的な役割を果たしている。
さらに、近年注目されているJAK阻害薬は、細胞内シグナル伝達経路を標的とする経口薬であり、生物学的製剤と同等かそれ以上の有効性を示す。一方で、トファシチニブの臨床試験では心血管イベントおよび悪性腫瘍リスクの上昇が報告されており、適切な患者選択とリスク管理が重要である。また、JAK阻害薬使用時には帯状疱疹の発症率が高いため、ワクチン接種による予防が推奨される。
クリニカルイナーシャとは
クリニカルイナーシャとは、「治療目標が達成されていないにもかかわらず、治療が適切に強化されない状態」を指す。その背景には、医師側・患者側双方の要因が存在する(図1)。医師側の要因としては、副作用への懸念、高齢者への過小治療、新薬への理解不足、診療時間の制約などが挙げられる。患者側の要因には、疾患理解の不足、副作用や費用に対する不安、医療者との信頼関係の欠如、現状維持バイアスなどがある。
近年の臨床医学で重視される共同意思決定(shared decision making:SDM)は、医師と患者が情報を共有しながら最適な治療方針を共に決定するプロセスである。しかし、「患者任せ」の形に陥り、結果的にイナーシャを助長する場合も少なくない(図2)。真のSDMとは、患者の価値観を尊重しつつも、医学的に最も妥当な選択肢へ医師が導く姿勢を意味する。
クリニカルイナーシャがもたらすリスク
RA診療におけるクリニカルイナーシャの典型例としては、必要な患者に対してメトトレキサート(MTX)や生物学的製剤/JAK阻害薬が導入されていないケース、高齢患者への過小治療、グルココルチコイド(GC)の長期投与などが挙げられる。中等度以上の関節炎を放置すると、関節破壊の進行のみならず、腎機能低下、心血管イベント、間質性肺疾患などのリスク増大につながる。そのため、必要な患者に対して生物学的製剤やJAK阻害薬を適切に使用し、疾患活動性を抑制することが重要である。また、グルココルチコイド(GC)、いわゆるステロイドは、関節痛を比較的速やかに軽減するため、これまでRA治療でしばしば用いられてきたが、関節破壊抑制効果は認められていない。また、GCは少量であっても長期使用により感染症や心血管イベントなどの有害事象リスクを大きく増加させることが、近年の研究で明らかになっている。したがって、現在のRA治療においてはGCはできるだけ使用せず、使用するとしても数カ月以内で中止することが望ましい。
クリニカルイナーシャ克服のために
クリニカルイナーシャを防ぐためには、まず、考えられるすべての治療選択肢のベネフィットとリスクを早い段階で患者に丁寧に説明することが重要である。同時に、「現状維持のリスク」-すなわち、関節破壊の進行、合併症、長期GC使用による有害事象リスクなど-も明確に伝える必要がある。さらに、医療者は単に患者の希望を尊重するのでなく、「この選択が患者の利益になる」と判断した場合には、粘り強くその方向へ導く努力を惜しむべきではない。これは押し付けではなく、真の意味でのSDMの実践である。まとめ
関節リウマチ診療は、生物学的製剤やJAK阻害薬の登場により、かつてない進歩を遂げた。しかしその一方で、クリニカルイナーシャという新たな課題が顕在化している。医療者と患者がエビデンスと価値観を共有し、共同意思決定によって最善の治療を選択することが、RA患者の真の幸福につながる。惰性を打破し、より良い治療を共に選択する姿勢こそが、これからのRA診療の質を左右すると考える。(2025年11月8日、薬科部研究会より)
図1
図2












