医科2026.02.14 講演
急性腹症診療ガイドライン2025を"現場で使える実践"へ(上)
~全国データと兵庫の現場の声が示す「知識とシステムの壁」~
[診内研より569] (2026年2月14日)
札幌医科大学 医療人育成センター 教育開発研究部門 准教授 三原 弘先生講演
はじめに:ガイドライン改訂の真の目的
2026年2月14日、兵庫県保険医協会診療内容向上研究会におきまして、「急性腹症診療ガイドライン2025(CPG2025)」の改訂ポイントと、それを臨床現場でどう活かすかについてお話しする機会をいただきました。急性腹症は、救急外来受診者の5~10%を占める頻度の高い病態でありながら、見逃しが許されない緊張感を伴う領域です。2015年に世界初の包括的ガイドラインとして初版が刊行されてから10年。今回の改訂第2版は、新たに日本病院総合診療医学会を含む8学会の協働により作成されました。その最大の目的は、単に新しいエビデンスを羅列することではなく、ガイドラインを「読む知識」から、目の前の患者さんを救うための「使える実践」へと昇華させることにあります。本稿では、講演時に会場およびオンラインからご参加の先生方からいただいた貴重な「生の声(アンケート回答)」を中心に私たちが直面している課題と解決策について、2回に分けて考えていきたいと思います。今回は、新しい診断指標や概念が直面している「知識とシステムの壁」に焦点を当てます。
10年の軌跡:定着した身体診察と、新たな課題
まず、希望のあるデータからご紹介します。過去10年間の全国調査において、腹膜刺激徴候を確認する「腹壁叩打痛」や、腹壁痛を見分ける「Carnett徴候」の実施率は着実に上昇しました1)。また、「診断がつくまで痛み止めを使ってはいけない」という古い常識は払拭され、診断前鎮痛の実施率も約7割に達しています。これは、地道な啓発活動が実を結び、標準診療として定着した証と言えるでしょう。次は、今回の改訂で推奨された新しい指標、例えば、尿管結石の予測モデルである「CHOKAIスコア」や、急性虫垂炎診断における「NLR(好中球・リンパ球比)」の利用率が今後上昇していくことが期待されます。ただ、参加された先生方から、次のようなご意見をいただきました。
NLR(好中球・リンパ球比):手計算の限界とシステム実装
白血球数やCRPが正常範囲であっても、NLRが4.7以上であれば虫垂炎の可能性が高まり、8.8以上であれば複雑性(穿孔や壊死)のリスクが高まります。しかし、参加者からは「電子カルテで自動算出されないと、実臨床での運用は難しい」という極めて率直かつ重要なご指摘をいただきました。まさにその通りです。多忙を極める外来診療の中で、医師が毎回電卓を叩いて比率を計算するのは現実的ではありません。ガイドラインの実装には、電子カルテなどの「システム側の支援」が不可欠であることを示唆しています。今後は、ガイドライン作成側がベンダーや病院管理者に働きかけ、環境を整備していく必要性を強く感じました。
NSAP(非特異的腹痛):説明の難しさと「見逃し」への不安
次に議論となったのが「NSAP」です。急性腹症の約3割は、初診時に確定診断がつかずNSAPに分類されます。これは「異常なし」ではなく、「多くは自然軽快するが、約1.6%の確率で後に虫垂炎や胆囊炎などが判明する可能性がある病態」です。これに対し、参加者からは「救急の現場でNSAPの概念を患者に理解してもらうのは、時間的に困難である」との切実な声をいただきました。この説明を補助するための患者配布用のパンフレットや、待合室で見られるショート動画などのツール開発が急務であると再認識しました。用語の壁:腸閉塞とイレウス
また、今回の改訂では「用語の整理」も大きなトピックでした。長年混用されてきたこの2者を明確に区別しました。・腸閉塞(Bowel Obstruction):腸管の機械的な閉塞(癒着、ヘルニア、腫瘍など)。手術適応の検討が必要。
・イレウス(Ileus):腸管の麻痺や痙攣による機能的通過障害。基本は保存的加療。
この区別は治療方針に直結するため極めて重要です。
しかし、現場の実感として「腸閉塞」として紹介しても、「イレウス」と返事が来ることがまだ多いというご意見をいただきました。診断が正しかったのか、誤っていたのかすら分かりません。言葉の定義が曖昧なままでは、紹介元と紹介先で緊急度の認識にズレが生じ、患者の不利益につながりかねません。われわれ医療者が意識的に用語を使い分け、共通言語として定着させていくことは、地味ですが患者安全を守るための重要なステップです。もちろん、保険病名を適正化する活動を推進していくことも重要です。
2-step methodと地域医療の現実
急性腹症患者の状態を安定化しつつ、診療上の見逃しを防ぐ思考の型として「2-step method」(バイタルサインが不安定であれば、安定化させつつ、超緊急疾患を除外し、安定していれば通常対応)を推奨しています。しかし、これに対しても参加者から「血液検査は夕方にしか出ないので(迅速な判断が難しい)」という、地域医療の検査体制の限界を指摘する声がありました。大病院のように24時間いつでも血液検査やCTの結果が即座に出るわけではありません。そのような環境下では、今回推奨されたCHOKAIスコアのような「問診と身体所見だけでリスクを層別化できるツール」や、後述する外来医による超音波POCUS(Point-of-Care Ultrasound)の価値が一層高まります。検査機器に頼りきれない状況でこそ、ガイドラインが提示する「病歴と診察の型」と超音波が強力な武器になるはずです。今回は、ガイドラインと現場の間に横たわる「知識とシステムの壁」について、皆様の声をもとに考察しました。次回は、開業医の先生方から最も反響の大きかった「超音波(POCUS)」の技術的課題と、それを乗り越えるための最新の教育ツール(動画教材や生成AI)についてお話しします。
参考文献
1)急性腹症診療ガイドライン改訂・出版委員会.第87回臨床外科学会2025年11月20日~22日、東京
2)急性腹症診療ガイドライン改訂・出版委員会.急性腹症診療ガイドライン2025改訂2版.医学書院,2025.
(次号につづく)
(2月14日、第630回診療内容向上研究会より)











