2026年5月05日(2132号) ピックアップニュース
特別インタビュー 弁護士・伊藤塾塾長 伊藤 真氏に聞く
今こそ憲法を考える
憲法が保障する自由・権利使うとき
弁護士・伊藤塾塾長 伊藤 真氏
【いとう まこと】弁護士、伊藤塾(法律資格の受験指導校)塾長、法学館憲法研究所所長、日弁連憲法問題対策本部副本部長。1958年東京都生まれ、81年司法試験に合格、82年東京大学法学部卒業後、司法研修所入所。司法研修修了と同時に弁護士登録。その後、真の法律家の育成を目指し、司法試験の受験指導にあたり、1995年「伊藤真の司法試験塾(現 伊藤塾)」を設立。現在は、受験指導・講演活動・執筆活動等に加えて、選挙無効訴訟、安保法制違憲訴訟、憲法53条違憲国家賠償等請求訴訟など、憲法価値の実現と立憲主義の回復のため日々積極的に取り組んでいる。NHK「日曜討論」や「仕事学のすすめ」、テレビ朝日の「朝まで生テレビ」などにも出演し、著書多数。
主権者としての国民の力が問われる
伊藤 与党が圧倒的な議席を獲得したという事実は、政治的に重いものです。しかし、まず私たちが大前提として確認しなければならないのは、「自民党の議員は、あくまでも主権者である国民の代表者にすぎない」ということです。彼らは国民から負託を受けたに過ぎず、主権者そのものではないのです。
足立 「代表者」と「主権者」を混同してはならない、ということですね。
伊藤 その通りです。歴史的な転換点という観点から見れば、現在は国民の憲法意識-まだ未成熟と言ってよいかもしれませんが、主権者としての力がまさに問われている時期だと考えます。
与党が圧倒的な議席数を持つということは、当然ながら野党側の力が弱体化してしまったということで、その結果、権力、特に多数派政党の権力を監視する力が、国会の内部では極めて弱まっていると言わざるを得ません。
だからこそ、国会の外において、主権者である私たち国民の権力監視の力が、これまで以上に必要とされている時代なのです。
憲法改正は「国民の総意」なのか
聞き手 足立 了平副理事長
伊藤 まず重要な点が三つあります。
第一に、憲法改正の手続きを定めた憲法96条の問題です。憲法改正の発議には衆参各院の「3分の2」以上の賛成が必要ですが、これは多数決の論理を強めるためのものではありません。それほど多くの国会議員が賛成するまで、十分な「熟議」を尽くすことを求めています。反対していた人や意見の異なる人たちとも議論を重ね、少数派の議員も含めて納得できる案にまとめあげたうえで発議すべきだという趣旨です。それが発議の前提であることを忘れてはなりません。
第二に、今回の選挙結果の実態です。自民党の議席は316議席と3分の2超となりましたが、絶対得票率(有権者総数に占める政党などの得票数の割合)で見れば、約27%にすぎません。有権者約1億人のうち、3分の1以下でしかないのです。したがって、この結果を主権者国民の「総意」であるとみなすことは不可能です。
しかも、今回は高市首相への人気投票のような側面が強かったのではないかという指摘もあります。憲法改正について深く考えて投票したわけではない層も含めての27%である以上、この議席数がそのまま改憲への国民意思を示しているとは言えません。
だからこそ、憲法改正ではなく「憲法改悪」であるとして、主権者が反対するという意思を表明し続けることが極めて大切なのです。
第三に、改憲手続きそのものの問題です。現在の国民投票法では、発議から投票日まで最短2カ月しかありません。その間の運動には公職選挙法のような厳格な規制がなく、SNS広告や資金についてもほぼ自由です。これではアメリカの軍需産業などが巨額の資金を投入し、世論を操作する危険性すらあります。
さらに、私が関わっている裁判でも争っていますが、いまだに2倍以上の「一票の格差」が存在しています。札幌周辺の有権者の一票は、鳥取県の半分以下の価値しかない状況です。このように不平等な選挙で選ばれた議員が改憲を発議するのは、民主主義的な正統性に根本的な疑問を生じさせます。手続きの公正さと格差の是正がなされない段階での発議は、許されるべきではありません。
「本丸」戦力不保持の9条2項削除を狙う
足立 憲法改正、特に9条に対する自民党内の空気も、大きく変質してしまったように感じます。伊藤 かつては自民党内にも、戦争体験を持ち、「九条だけは手をつけてはいけない」という意見を持つ、いわゆる「リベラル保守」の議員たちがいました。しかし、そうした方々が引退し、戦争を知らない世代が中心となったことで、憲法改正が具体的な政策として前面に出てきました。
足立 改憲に積極的だった安倍政権から現在の高市政権へと至る流れを、どう分析されていますか。
伊藤 2018年の「安倍改憲」案は、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」とする9条2項を残したまま自衛隊を明記する、という形をとっていました。これは連立していた公明党が、いわゆる「加憲」を主張していたためです。
しかし、現在は大きく二つの条件が変わっています。一つは、維新の会が政権与党に加わったことです。維新の会ははっきりと9条2項削除を打ち出し、自民党が本来やりたかったことをアクセル役として強力に後押ししています。
もう一つは、国民意識の変容です。ウクライナやガザの戦争を受け、「力による平和」を主張する声が日本でも強まり、「憲法9条だけで大丈夫か」という危機意識が広がっています。政治家の間でも、軍隊を抑止力として持つことで平和を実現するという考え方が圧倒的になっており、それが国民の中にも浸透し始めています。政治家の立場に立てば、これほどの追い風はありません。高市政権が今後いつまでも続くとも限らない以上、彼らはこの機を逃さず、一気に9条に手をつけ、9条2項削除まで踏み込んだ案を出してくる可能性があると見ています。
もはや教育無償化などの呼び水的な改憲ではなく、本丸を狙った攻勢が始まろうとしているのです。国民の権力監視の目が、今まさに問われています。
足立 先日の日米首脳会談で、トランプ米大統領が求めるホルムズ海峡への艦隊派遣について、高市首相は「法律の範囲内でできることとできないことがある」と伝えたと報じられています。これは憲法9条が、日本が戦争に巻き込まれないための盾となる証左であると思いますが、高市氏は決して「憲法」と言いません。なぜ憲法を理由にすることができないのでしょうか。トランプ氏にすれば、法律は解釈も含めいくらでも変えることができると考えるでしょうから、盾にはならないのではないかと思います。
伊藤 なぜ「憲法の範囲内で」と言わなかったのか。これは偶然ではありません。
まず自らの論拠を崩しかねないという矛盾が生じることが指摘できます。「9条があるからできない」と言ってしまえば、改憲反対派に恰好の材料を与えかねません。
もう一つは、もっと根本的なことです。かつては集団的自衛権の行使は「憲法上許されない」というのが政府見解だったのに、安倍政権は憲法を一切変えることなく、閣議決定一つで解釈を転換してしまいました。高市首相にとっても憲法はむしろ乗り越えるべき障壁であり、縛られることを内心では認めていない。だから、盾として使う発想がそもそも生まれてこなかった、そう見ることもできます。
主権者である国民にとって、これは由々しき事態です。憲法9条は、日本が戦争に巻き込まれないための最後の盾です。その盾を為政者自らが使おうとしない。法律の話にすり替えることで、将来の変更余地を残そうとするのを許すべきではありません。
私たち市民・主権者がすべきことは、「憲法上できない」という言葉を政府に言わせ続けることです。為政者に憲法を使わせること、それ自体が憲法を生きたものにする力になるのだと、私は思っています。
スパイ防止法によりすべての国民が監視対象に
足立 改憲に関連して、高市早苗首相は「スパイ防止法」制定に意欲を示し、政府では今夏にも有識者会議を設置すると言われています。今国会ではその前段階として、インテリジェンス(情報活動)機能強化のためとして、「国家情報会議」設置法案が4月23日、衆院を通過しました。伊藤 スパイ防止法というと「外国のスパイを取り締まる」というイメージを持たれがちですが、実際には誰がスパイか分からないため、全国民が監視対象になります。
歴史を振り返れば、1925年の治安維持法も、当初は共産主義運動取り締まりを名目にしていましたが、最終的には戦争に反対する思想や表現をすべて取り締まる強力な道具となりました。スパイ防止法も同様の構造を持っています。
電話の盗聴にとどまらずメールの監視まで広がり、権力が恣意的に「スパイである」と認定すれば拘束も可能になるのです。国家にとって都合の悪い思想、表現活動、あるいは大学での研究までもが「国家安全保障に反する」と判断されれば、抑え込まれる危険性が極めて高い。自民党は「インテリジェンス機能の強化」という耳当たりの良い言葉を使いますが、治安維持法で逮捕された人々のほとんどは外国人ではなく、日本国民でした。
スパイ防止法は、戦争国家化を強固にするための制度として位置付けられます。戦争遂行には、国内の国民監視、情報統制が不可欠だからです。軍事分野で「機密」が拡大すれば、民主主義の基盤である透明性が損なわれ、知らぬ間に戦争ができる体制が整えられてしまうのです。
「大砲かバターか」国の方向性を示す憲法
多数の法律書に囲まれ、現在の政治状況から憲法の価値までざっくばらんに語り合った
伊藤 政治の本質は「希少資源の分配」です。限られた財源をどこに分配するのかを決めるのが政治の役割であり、その根本的な方向性を示しているのが憲法です。
日本国憲法は九条によって、軍事費にお金を使わないという決断をし、その代わりに目指したのは二十五条を中心とした「福祉国家」の実現です。軍事と福祉は常にトレードオフの関係にあります。
象徴的なのが1957年という年です。在日米軍基地拡張に反対する「砂川事件」の裁判が始まった同じ時期に、生活保護費の引き上げを求めた「朝日訴訟」も提起されました。軍備を拡張していこうとする動きの中で、生活保護費が削られていった当時の構図は、現代でも変わっていません。
国民が監視していなければ、政治は常に「軍備増強・福祉削減」の方向に傾いてしまいます。私たちは今、単なる予算審議の問題ではなく、憲法がめざしている国家のあり方そのものを問い直さなければならないのです。
人権や自由守る医療者が積極的に発信を
足立 このような情勢下で、医師・歯科医師の私たちはどうすべきでしょうか。伊藤 医療は、経済的効率性では測ることのできない、人権や自由という価値を守る行為です。憲法は、医療者に、あらゆる人が尊厳を持って健康に生活できるようにするため役割を果たすことを要請していると言えます。
そのため、医療の分野においても、戦争国家化の動きを油断なく監視する必要があります。自衛隊では戦場での救命措置や負傷兵の搬送訓練が行われており、戦場を想定した動きが本格化しているのです。
足立 命を救うはずの医療が命を奪う戦争に加担してきたという歴史の教訓を、今こそ思い出す必要がありますね。
伊藤 そうです。ナチスの人種政策や日本の731部隊の歴史を忘れてはなりません。本来命を守るための医学が、人の命を奪うための道具として利用された歴史があります。国家が戦争体制を整えようとするとき、専門知識が利用される可能性は常に存在します。だからこそ、現場の現実を知る医師や法律家といった専門家が、人権や自由を守るという憲法の価値を、社会に向けて発信し続けることが極めて重要なのです。
このように私たちが憲法意識を持ち続けること自体が、日本国憲法に具体的な力を与えることになります 。
厳しい時こそ「楽観的」な知性を
足立 厳しい政治状況ですが、最後に、私たちは主権者としてどのような姿勢で向き合えばよいか、アドバイスをいただけますか。伊藤 私は司法試験の受験指導の中で、受験生に、こういう時こそ「楽観的」に生きることが大切だと伝えています。そのためには二つの知性が必要です。
一つは、不幸な出来事を「限定的」に捉えることです。うまくいかなかったのはその部分だけであって、すべてがダメになったわけではないと考えるのです。
もう一つは、時間を限定することです。今はうまくいっていないだけで、それが永遠に続くわけではない。試験で悪い点数を取ってしまい落ち込むことがあっても、その問題がうまく解けなかっただけであって、その法律のすべてが分からないわけではありません。今うまくいかなかっただけで、これからいくらでも改善することができます。
このように、出来事を限定的に捉えることによって、人は前向きに生きていくことができるのだと思います。政治状況も同じです。小選挙区制では、わずか2%の差が逆転すれば議席の構成は劇的に変わります。
私たちは、憲法が保障する表現の自由や学問の自由をもっと「使う」必要があります。私たちがこうした人権を実際に行使することによって初めて、憲法は社会の中に根付き、大きな力を持つ存在になっていくのです。悲観して何もしないのではなく、状況はまだ変えられるという希望を持って、主権者として一歩ずつ進んでいきましょう。
足立 医療の現場からも、憲法の価値を発信し続けていきたいと思います。本日はありがとうございました。
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