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学術・研究

医科2015.06.21 講演

新世代ゲノム解析によって変わる医学と医療[第47回総会記念講演より]

国立遺伝学研究所 人類遺伝研究部門教授  井ノ上 逸朗先生講演

 次世代シーケンサーと称される新世代シーケンシング技術の発展は目覚ましいものがあり、ゲノム医学推進の駆動力となり医学・医療を一変させることでしょう。すでに原因不明の疾患で、ゲノム解析することにより原因があきらかになり、それに伴い治療にまでいたったケースがいくつか報告されています。
 現在の最高機(HiSeq 2500(illumina))では、1回のランでヒト全ゲノム6人分を同時に解析できます(図1)。もっとも最近では、一人当たりの全ゲノム配列を10万円で解析できるシステムも発表されています。2003年に完全解読がなされたヒトゲノム計画は、1人分の全ゲノム配列を決定するのに、欧米日の研究者が集結し、10年かつ3000億円かけた、生命科学が初めて経験した一大プロジェクトでした。それから10数年しかたっていませんが、隔世の感があります。さらに高性能のシーケンシング技術が期待されており、ヒトゲノム配列は数万円で解析可能となることでしょう。現在、全エクソン配列決定や全ゲノム配列決定による疾患遺伝子解析は加速度的に進んでおり、将来的にはほとんどの遺伝病において原因は判明していることとなるでしょう。血清に存在する微量の癌組織由来のDNAを診断する手法なども、確立することが期待されています。
 さてシーケンシング技術が医学・医療になにをもたらすのでしょうか。現場の医師の方々にはなじみのない話でしょうが、ゲノム解析の進展により確実に医療は変わります。ここでは、人類集団の移動の歴史についての新知見と、母体血清を用いる新型出生前遺伝子診断(NIPT)について述べます。
人類集団の移動の歴史
 現生人類の祖先はアフリカ由来です。6〜8万年前にアフリカをでて中東、そしてユーラシア大陸に拡散したとされます。北京原人とかジャワ原人は100万年前の原人ですが、現生人類のずっと前にアフリカをでたグループで、現生人類の祖先ではありません。20〜40万年前にアフリカをでたグループがネアンデルタール人です。中東やヨーロッパにいました。シベリアなど東アジアではデニソワ人と呼ばれます。これも現生人類の祖先ではありません。現生人類祖先とネアンデルタール人は同じ時期に共存していました。おそらく敵対関係だったとされ、ネアンデルタール人は絶滅します。
 両者の間で交雑があったのかどうかは長年の疑問でした。ネアンデルタール人のミトコンドリアDNAを調べたところ、現生人類とはかなり異なっており、交雑はなかったという結論になっていました。最近のゲノム解析は異なる答えを与えてくれています。
 チベット人は4000メートルの高地で暮らしています(図2)。なんらかの高地適応がないと、そのようなところで生活するのは大変です。チベット人のゲノムを調べたところ、彼らはEPAS1遺伝子に変異を有しており、そのため高地適応していることがわかりました。面白いことにチベットで飼われているマスティーフという犬種もEPAS1変異を有しています。チベット人で見出されたEPAS1変異は、デニソワ人のゲノムからの混入であることが示されています(図3)。すなわち、祖先集団がデニソワ人と交雑し、高地で生活できる能力を得たと想像できます。アジアではパプアニューギニアあたりの人たちは、デニソワのゲノムを5%程度有することがわかっています。ヨーロッパでも数%はネアンデルタールのゲノムがはいってきています。これらは古代人のDNAを解析する技術が進んだためわかったことです。当然次世代シーケンシング技術が使われています。
母体血清を用いる新型出生前遺伝子診断
 最近、新聞等でも話題になっているのが新型出生前遺伝子診断(NIPT)です。母体血清を使い、胎児の遺伝子診断をおこなう手法です。妊娠時、母体の血清中には5〜10%程度、胎児のfree DNAが存在していることがわかってきました。
 胎児DNAが血清中にあるなら、その遺伝子を調べて胎児の遺伝子診断が可能となります。現在おこなわれているのはダウン症候群など染色体異常の診断です。理論上ではすべての遺伝病の診断が可能となりますし、実際に手法が開発されています。これもシーケンシング技術の進歩によるもので、最近の報告では、従来の絨毛、羊水検査より診断精度が高いそうです。
 血清を用いた遺伝子診断は、患者さんへの負担が小さいことが特徴です。ダウン症などの診断がくだると多くの方が中絶されているのも現実です。現時点で命の選別といった倫理的な問題について醸成された議論となっているとはいえません。幸いというか、現時点では検査費が高いので律速となっているかもしれません。近い将来、検査費はさらに安くなります。そうするとすべての妊婦が遺伝子検査を受ける時代が来るかもしれません。全症例で検査する時代となると、ダウン症などがいなくなる、もしくは非常に珍しくなる、かもしれません。それはそれで、人類の多様性が失われ、なにか問題が生じる可能性があります。
 シーケンシング技術の進歩は新たな倫理的問題を生み出しています。これらについて専門家のみでなく、社会で考えていくべき問題です。実際には医師に対してもですが、ゲノムの知識を一般に広めていく活動がまずは重要な気がします。
(6月21日講演)
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