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学術・研究

医科2016.07.16 講演

高齢者時代の精神科プライマリケア[診内研より489]

獨協医科大学越谷病院こころの診療科 教授  井原  裕先生講演

はじめに
 精神科プライマリケアを難しくしていた原因は、主に二つ、薬物療法偏重と激励禁忌神話である。
 薬物療法偏重をもたらした原因は、1999年から始まった選択的セロトニン再取り込み阻害剤(SSRI)ブームにある。当時、製薬会社と一部の精神医学者は、薬剤の効果を楽観的にうたいあげてきた。しかし、その後、抗うつ薬の治療必要数(Number needed to treat, NNT)は、軽症大うつ病については3-8(Stewart et al., 2012)、大うつ病一般に関して三環系抗うつ薬は7-16、選択的セロトニン再取り込み阻害剤は7-8(Arroll et al., 2009)程度であることが判明した。大雑把に、NNTを7と考えれば、薬物療法に意味があるのはうつ病全体の2割弱である。すなわち、「うつの8割に薬は無意味」(井原、2015)が抗うつ薬についての真実といえる。
 いわゆる「激励禁忌神話」は、うつ病臨床を長く呪縛してきた。これは、医学生向けの精神医学の教科書に記載されていた上に、医師国家試験において禁忌肢問題とされ、誤答が合否に直接影響する重要事項としてランクされてきた。たしかに「うつ病患者に激励は禁忌である」との警句は、高度経済成長期に「働かざる者食うべからず」の勤勉道徳が人々を呪縛していた時代には、多少の意義はあった。しかし、『オックスフォード精神医学』、『カプラン&サドック精神医学』等の英語圏の教科書には激励"encourage"の語が頻繁に用いられていることを思えば、これは日本の文化的な現象にすぎない。
 その一方で、今は、脳卒中すら早期離床が勧められる時代である。安静・臥床が長くなると、その分筋の廃用性萎縮が生じる。うつ病においても同じで、自宅療養、長期休職によって、本来その人が有していた体力、業務遂行能力を衰えさせてしまうことになりかねない。特に、この激励禁忌神話によって、臨床医たちがうつ病患者を腫れ物のように扱い、時期を逸せぬ積極的な働きかけを躊躇させる原因となってきた点は、弊害の方が大きいといえる。
 以上を考慮して、本稿では薬物療法に依存しない療養指導の方法を考える。
フレイル・サルコペニア
 日本老年医学会が「フレイル frail」という概念を普及させようとしている。米国老年医学会の評価法では、(1)移動能力の低下、(2)握力の低下、(3)体重の減少、(4)疲労感の自覚、(5)活動レベルの低下のうち、三つが当てはまると、この段階と認定している。
 うつ・不安・心気を呈する高齢者においても、不活発な生活がもたらした心身の機能低下があって、一見うつ状態のように見えるのは、それらによる二次的な結果にすぎないことがある。
高齢者のこころの健康と運動
 高齢者において、運動はこころの健康に不可欠である。運動は認知機能低下・認知症のリスクを下げ(Laurin et al., 2001)、うつ病のリスクを下げる(Strawbridge et al., 2002)。また、運動は、大うつ病の症状に急性の改善効果があり(Bartholomew et al., 2005)、大うつ病の10カ月追跡調査にて治療維持効果もある(Babyak et al., 2000)。
 うつ病において近年有力な仮説に神経可塑性異常仮説があり、そこでは脳由来神経栄養因子(Brain-derived neurotrophic factor,BDNF)と抑うつの重症度とが負の相関を呈するとされる(Lang et al., 2004;Mitoma et al., 2008)。うつ・運動とBDNFとの関係は、動物実験レベルではすでに確認されている。ラットの走行により海馬のBDNFmRNA発現増加(Neeper et al., 1996;Oliff et al., 1998)が認められている。ヒトにおいてのうつ・運動とBDNF、HPA、神経可塑性の関係は今後の課題である。
うつ・不眠を訴える高齢者 −療養指導
 高齢者のうつ・不安・不眠に対する療養指導の骨子は、〈1〉睡眠目標時間の適正化(「臥床7ないし8時間、そのうち6ないし7時間程度眠れればよし」とする)、〈2〉起床・就床時刻の固定(午前6時に起床、午後10時ないし11時就床など)、〈3〉軽い運動の勧め(最低でも臥床時間1日8時間以下に留める)の3点である。
 特に、起床・就床時刻の固定は重要である。高齢者は就床が早くなりがちなので、起床予定時刻の7ないし8時間前までは就床させないようにする。具体的には、午前6時に起床ならば、「午後10時ないし11時までは寝ないで起きている!」と指導する。
 睡眠薬は最小限、最短期間にとどめるべきである。本邦で頻用されているベンゾジアゼピン系睡眠導入薬には、依存のリスクがある。そのうえ、同系薬は睡眠を改善させているわけではなく、むしろ深睡眠を減らすことによって睡眠の質を損なっている。
 むしろ勧めるべきは運動である。運動によって睡眠周期前半の徐波睡眠が増加することは古くから知られている(Shapiro et al., 1975)。その一方で睡眠の質を悪化させない睡眠導入薬の開発が困難である現状を考慮すれば、運動以上に睡眠に効果のある方法はないといえる。
 具体的には、その人の起立・歩行力次第だが、それまで日中もっぱら臥床がちであった人は、まずは、日中離床して、1日の臥床時間を8時間にとどめる。ついで、朝夕2回のウォーキングを1日量にして3000歩から始め、徐々に増やし、最終的に7000歩を目標にするなどである。
睡眠日誌の導入
 忙しい外来診療において、療養指導を成功させるカギは「睡眠日誌」の導入にある。これによって、生活習慣を自己管理させ、また、家族の協力を得ることができる。睡眠時間のみならず、歩数も記録させる。外来診察のたびに、本人にも家人にも、日中の活動の意義と、長期臥床のリスクを説明するとよい。
(7月16日、診療内容向上研究会より)
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