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学術・研究

医科2021.03.15 講演

脳トレ診断推論
-システム2で暗黙知を言語化せよ-
[診内研より517] (2021年3月15日)

千葉大学大学院診断推論学 講師 医学部附属病院総合診療科 副科長 上原 孝紀先生講演

はじめに
 今回、適々斎塾の講演を聴講いただき、一本釣り!?のような形で清水映二先生にお声掛けいただき、貴重な講演の機会をいただけたことを心より御礼申し上げます。本稿では講演でお話しさせていただいた一部を抜粋して共有させていただきます。
 本講演のテーマに掲げたのはシステム2、すなわち分析的思考による暗黙知の言語化です。爆発的に医学情報が増えている今、やみくもに知識を増やしていくだけでは使える診断推論能力は育ちません。診断推論の父とも言えるGeorges Bordage先生は、「たくさんの病気を学ぼうとすればするほど、診断推論能力の向上とは逆相関してしまう」と述べています1) 。診断推論能力を向上させるためには、発熱を例にすると、「教科書などのデータベースから40~50の疾患を想起するやり方をやめさせ、2~3の代表的な疾患に絞って学ばせるべきだ」1)とまで踏み込んで解説しているのです。
 この総説は1994年にpublishされています。ということは、今から25年以上前に情報過多のリスクについて警鐘が鳴らされていたわけです。情報化社会の発展により、加速度的に手に入れられる情報が増えている今、単純に情報収集をするだけでは、診断推論能力は伸びません。本稿では講演の前半部分を中心に皆さんと学んでいきたいと思います。
チャンクと記憶の構造
(1)チャンク
 実臨床の場で診断推論に寄与する核は、知識を高度に抽象化してネットワーク化させたチャンク※1です。自分の頭の中に良質なチャンクを作り込んでいくことが診断推論に重要なトレーニングになります。「はじめに」で解説したように、知識「量」は推論能力に寄与しません。良質なチャンクを作るためには一つひとつの症候や病態を徹底的に詰めることが重要になります。 ・知識量 ≠ 推論能力
・1人の患者の病態を徹底的に詰める
※1 チャンク:大きな塊のこと。ここでは意味的なつながりを持った言語的情報や非言語的な情報の塊
(2)記憶の構造
 本稿後半で解説する具体的なチャンクの作り方に入る前に、「記憶の構造」について押さえておきましょう(表)。記憶は以下の3段階で行われており、このうち②の保持の理解が診断推論には重要です。
[1]記銘(意味に変換して外部から取り込む)
[2]保持(保存)
[3]想起(記憶の表出)
 人は言葉(左脳)とイメージ(右脳)を使って②記憶の保持、すなわち短期記憶、長期記憶を行っています。短期記憶には言語的記憶と視空間的記憶があり、長期記憶には、意識上に内容を想起できる陳述記憶と、意識上に内容を想起できない非陳述記憶があります。非陳述記憶の一つである手続き記憶は、たとえば自転車に乗る方法を一度覚えると数十年後でも問題なく自転車に乗れるような、非言語的な記憶です。
 医師が診断推論を行うときには、作業記憶(ワーキングメモリー)上で患者から得られた情報を短期記憶して、長期記憶から必要な情報を引き出しながら、「注意の焦点化」と「切り替え」、「情報の更新」を行っています。言語情報と視覚情報、さらには意識に上らない無意識の情報を言語化・可視化して、「診断」に向けてネットワーク化することが診断推論であり、結果として良質なチャンクが構築されて診断推論能力が向上するのです。
事例提示
49歳女性、二次救急外来に救急車で来院
【受診理由】様子がおかしい
【現病歴】5~6日前から体調不良。2日前の昼頃からめまいが起こり、同日夜に救急要請。過換気症候群の診断で経過観察。来院当日朝、夫から娘に、様子がおかしいから見に来てほしいと依頼があり、娘が会うと「さっきそこで人が覗いていた」、「閉じ込められている」、「弟が来た」等、実際には起こっていないことを多弁に話していたため、娘が救急要請した。
【既往歴】高血圧、不眠症、逆流性食道炎
【内服薬(各1日量)】バルサルタン160㎎、カルベジロール20㎎、トリアゾラム0.125㎎、ニトラゼパム5㎎、エチゾラム1.5㎎、エソメプラゾール10㎎
(1)「妄想」の定義とSQ※2への置き換え
 患者は日単位の発症で、家族に様子がおかしいという理由で救急搬送されています。家族からの情報で妄想を想起しますが、一度、妄想の定義を再確認しましょう。統合失調症などで認められる妄想の定義は、「圧倒的に矛盾する証拠に直面しても変化しない誤った信念」のことです。この患者に、「誰も覗いていなかったよ」、「弟は来ていないよ」などと説明すると、怒ることなく比較的速やかに理解を示しました。つまり妄想の定義と合致しないのです。そのため急性発症のつじつまの合わない言動を、陽性症状を認めている状態と考え、せん妄、すなわち意識障害というSQに置き換えることができるのです。本例で意識障害に置き換えることは難しくないかもしれませんが、このように一つずつ言葉の定義から押さえることによって複雑な症候を呈しているときでも問題を解決できる推論能力が身につきます。
※2 SQ:Semantic Qualifierの略。患者
(2)意識障害の病態生理
 意識障害は、[1]意識混濁、[2]意識狭窄、[3]意識変容の三つに分類することができます。[1]意識混濁は覚醒度の低下と考えると分かりやすいです。覚醒度が落ちた鎮静状態であり、直感的にも理解しやすい意識障害です。[2]意識狭窄は覚醒水準とは関係なく、高次機能が複数かつ部分的に障害されている状態であり、注意障害を来して臨機応変な対応ができなくなります。[3]意識変容は、覚醒度が上がりすぎている状態と考えると理解しやすいです。過活動型せん妄や夢幻状態(夢を見ているような言動)が該当します2)。今回提示した事例は[3]意識変容を来した過活動型せん妄というSQに置き換えることも可能です。
おわりに
 情報を言語化してネットワーク化されたキーワード・SQのチャンクを一つずつ丁寧に作っていくことが、診断推論能力向上への最短の近道になります。講演ではこのほかに、(1)せん妄の定義と診断、考え方、(2)せん妄と認知症の比較、(3)認知症4大疾患の症状と解剖学的解釈、(4)発症様式と時間経過による病態生理の詰め方、(5)急性発症の陽性症状を伴う脳症の鑑別を、若手医師の皆さんとの会話やチャットでディスカッションしつつ、頭の中にチャンクを構築する方略を共有していただきました。
 本講演には現地、オンライン併せて110名の参加者があったとのことであり、とても緊張する場面ですばらしい発言、コメントを下さった皆様に、この場をお借りして改めて御礼を申し上げます。
 診断推論のトレーニングは、一般的には、プレゼンターが全ての患者情報を一通りした後に、司会者が全体を通してフィードバックすることが多いと思います。しかし、真に診断推論能力をつけるためには、プレゼンターが症例提示をしだしたその瞬間から、目の前に現れてくる一つひとつの問題の合う点、合わない点を明示して解決しながら進めていく方略がとても有効になります。千葉大学総合診療科では、このような学修方略を前向き推論トレーニングと呼んで日々実践しています。そして、このトレーニングを診断推論塾として、Zoomを用いた個人・グループレッスンとして、提供する計画を実行に移しています。診断推論教育にご興味がある方は、takanori.ue@nifty.comあるいはFacebook上原孝紀までご一報いただけると幸いです。
参考文献
1)G Bordage. Elaborated knowledge:a key to sucessful diagnostic thinking.Acad Med 1994;69(11): 883-5.
2)深尾憲二朗.意識.臨床精神医学 2015;44(5):665-72.

表 記憶の構造
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