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学術・研究

医科2025.06.28 講演

診断について
[診内研より558] (2025年6月28日)

獨協医科大学病院 総合診療科 診療部長 志水 太郎先生講演

診断エラーの現状と社会的影響
 医療の質と安全性が世界的に重視される現代において、診断エラーへの関心はかつてないほど高まっています。そのきっかけとなったのが、1999年にNAM(National Academy of Medicine)が発表した「To err is human」です。このレポートでは、米国で年間4万4000人から9万8000人もの人が医療過誤、特に診断エラーによって命を落としている可能性が示され、社会に大きな衝撃を与えました1)
 この問題は単なる統計上の数字にとどまらず、実際の医療現場における訴訟リスクの上昇や、医師・患者双方の心理的負担にも直結しています。実際、診断エラーは医療訴訟における争点として最も多く、また死因別で見ても心疾患や悪性腫瘍に次ぐ第3位とも指摘されています2)3)
 さらに、診療現場や医療機関の種類によってその頻度は異なりますが、院内有害事象全体の7~17%に診断エラーが関与しているとのデータもあ4)、日本を含む世界中で診断の質の向上は急務となっています。
国際的な取り組みと「Diagnostic Excellence(DEx)」
 こうした背景から、2015年には再びNAMが「Improving Diagnosis in Health Care(IDHC)」を発表し、診断エラーの学術的意義と社会的影響が改めて明確化されました。ここから世界中で診断エラーの研究と対策が本格化し、最近では国際的な病院機能評価基準であるJCI(Joint Commission International)においても「診断エラー低減への取り組み」が重要な要件として盛り込まれるなど、診断の質は医療の根幹を成すテーマとなっています5)
 さらに近年では、「診断エラーを減らす」だけでなく、「診断の質そのものをいかに高めるか」という包括的な視点が求められるようになりました。こうした新たな潮流の中で生まれたのが、「Diagnostic Excellence(DEx)」という概念です。DExは、これまで重視されてきた安全性や有効性だけでなく、患者中心性や効率性、公平性、適時性といった医療の質の六つの要素すべてを診断プロセスに適用し、患者体験の最大化や不確実性への適切な対応、限られたリソースの中での的確な判断を目指すものです6)
 つまり、診断はもはや医師個人の能力だけで完結するものではなく、患者をはじめ多職種の医療スタッフ、さらには社会的な環境やシステム全体が一体となって高めていくべき協働的な営みとして位置づけられています。JAMA誌などで特集されたDExの連載では、実際に診断が困難となるのは珍しい疾患よりもcommon diseaseであることが多いこと、医療の不確実性に常に向き合う必要性、そして患者中心のフォローアップや協働の重要性が強調されています。
 興味深いことに、日本では1963年という早い時期に、冲中重雄教授が東京大学での最終講義で、750例の剖検データに基づき14.2%という誤診率を報告しています7)。この報告は、半世紀以上前からわが国でも診断の本質や限界が意識されてきたことを示しています。
DExを実現するため求められる能力・態度
 それでは、医師一人ひとりがDExを体現するには、どのような能力や態度が求められるのでしょうか。筆者らは2022年にDiagnosis誌にて、診断卓越の構成要素を以下の式で一般化しました8)
ECR = e × i-In
 ここで「e」は医師の診断熟達度(expertise)、「i」は洞察力(insight)、「In」は診断を交絡させる内在要素(inherent)を表します。この数式化によって、個人がどの点を伸ばせば診断の質が向上するのかを明確にし、日々のトレーニングや振り返りの指針とすることができます。
 とくにe(expertise)は、基礎医学や臨床医学の知識に加え、それらを現場で統合的に活用できる実践的能力が重要です。たとえば、解剖学や生理学といった基礎医学の知識は、まれな疾患や非典型的な症状にも応用可能です。また、症例ごとの「イルネススクリプト」や、論文・カンファレンスを通じた多様な経験の蓄積も、診断推論の幅を広げます。経験した症例を都度振り返り、同僚と意見交換しながらメタ認知的な自己点検を行うことで、知識や直観のバイアスも補正できます。さらに、AIなどの最新技術を活用することで、思考の幅や再現性を高めることも現代的なexpertise強化の方法です。
 expertiseのもう一つの柱が、病歴聴取や身体所見を中心とした情報収集の技術です。たとえば病歴では、患者の訴えや背景、既往歴、生活状況などを多角的かつ網羅的に整理するための「6Cモデル」9)などが有効です。診察では、患者が診察室に入る瞬間から、姿勢・歩行・表情・服装・視線などを丹念に観察することが大切です。直観的に「何か違和感がある」と感じ取る観察眼も重要ですが、なかなか直観が働かない場合には、要素ごとに分解して一つひとつ冷静に分析することが、偏りや見落としを防ぐカギとなります。
 筆者が経験した腹痛患者の例では、手掌の複数の手術痕に気づいたことから、その患者が職業的に手を酷使していた事実が分かり、さらに腹筋の長時間使用が腹痛と関係していることに辿りつきました。この患者は過去に何度も病院で精査され、各種画像検査でも異常が発見できなかったものの、丁寧な病歴聴取と身体所見から腹直筋上の神経絞扼症候群(ACNES)を診断し、適切な治療につなげることができました。こうしたアプローチは、過剰な検査や不必要な医療介入を減らすうえでも極めて重要です。
診断卓越を高めるために
 最後に、診断卓越を持続的に高めるためには、日々の症例や経験を同僚とともに振り返り、知識や技術の較正(キャリブレーション)を重ねていく姿勢が欠かせません。診断は多面的な協働作業であり、一人の熟練だけでなく、チームとしての知恵や多職種の視点、患者自身の声を統合することで、真のDExが実現します。
 DExは今後の医療において最大級のテーマとなり、多くの医療者がその実践に関心を持ち、日常臨床や教育現場での取り組みを通じて、医療の質向上を目指してほしいと考えます。本稿が、兵庫県の幅広い専門領域の医師の皆様にとって、日々の診療や自己研鑽の一助となれば幸いです。
参考文献

1)Kohn LT, Corrigan JM, Donaldson MS, editors. To err is human. Natl Acad Press(US); 2000.
2)Tehrani ASS, et al. BMJ Qual Saf 2013;22:672-80.
3)Makary MA, et al. BMJ. 2016;353:i2139.
4)Balogh EP, et al. Improving diagnosis in health care. Natl Acad Press(US); 2015.
5)https//www.jointcommissioninternational.org/ 2025/7/3 最終アクセス
6)Yang D, et al. JAMA. 2021;326(19):1905-6.
7)冲中重雄.内科臨床と剖検による批判「最終講義」.実業之日本社,東京,1997.
8)Shimizu T, Graber ML. Diagnosis(Berl)2022.
9)Shimizu T. Diagnosis(Berl)2020.

(6月28日、第622回診療内容向上研究会より)

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