兵庫県保険医協会

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兵庫保険医新聞

2010年8月25日(1631号) ピックアップニュース

燭心

 毎年8月になると、戦争の記憶を新たにする番組や記事がテレビや新聞を埋め尽くす▼終戦の日、筆者は7歳、国民学校2年生だった。1年生の時、学童集団疎開を憂慮した母の意志で箕面の親類の家へ預けられた。1~6年生まで隊列を組んで登校する頭上をB29が飛来すると、道路の横の溝や田んぼのあぜ道に伏せた。時々低空飛行しながら機銃掃射が道路の上を走るのを見たがなぜか何も感じなかった。箕面の田舎も決して安全ではなかった▼昭和20年3月、大阪駅周辺が大空襲を受けた同じ時間帯に、京都駅から福知山線経由で父母の郷里鳥取へと脱出した。当初大阪駅から乗る予定を、母の勘が京都駅へ変えた。一家全滅を免れた。昭和19年秋、42歳で召集された父はついに帰ってこなかった。筆者のささやかな戦争体験だ▼終戦後65年を経て、戦争の最前線からの生還者たちが少しずつ重い口を開き始めた。戦争の悲惨さ、無意味、帰還できなかった人々の無念さを戦争を知らない世代に伝え、二度と繰り返してはいけないと訴えている▼国民の命を大事にしない為政者を、国のリーダーとして持つことの恐ろしさについて検証する番組や特集が組まれている。しかし、ラジオや新聞などメディアが戦争の片棒を担いだ事実をわれわれは忘れてはならない。現在でも、時としてメディアが政府に迎合していると思われる節があるからだ。しっかりと目を見開き、国の政治や外交、報道の真否を見極めていきたい(硝子)
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