兵庫県保険医協会

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兵庫保険医新聞

2013年4月25日(1717号) ピックアップニュース

特 集「福島のいま」----大熊町調査報告・座談会 避難者によりそった運動を

 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から2年。警戒区域に指定された双葉町をはじめ、半径20キロメートル以内の市町村や飯舘村など自宅に戻れない避難者は、福島県全体で15万人余に及ぶ。福島の現状をどう考えていくのか。原発立地自治体である大熊町の警戒区域(当時)内へ調査に入った郷地秀夫副理事長の報告を受け、武村義人・加藤擁一各副理事長、森岡芳雄環境・公害対策部長が話し合った。(司会は森岡部長)

大熊町調査報告
高線量の警戒区域内 避難住民の苦しみ募る  郷地 秀夫 副理事長

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郷地 秀夫副理事長

 昨年11月10日に大熊町の協力を得て、放射能汚染の状況調査のため、警戒区域とされる原発から2キロメートル地点まで調査に入った。
 町役場や老人ホーム、工場など、原発から2〜5キロメートル圏内を訪問し、持参した多数の空間線量計やα線測定器で記録した。
 警戒区域内の空間線量は、45〜60マイクロシーベルトという高い値を記録した。雨どいや溝では、150マイクロシーベルトや200マイクロシーベルト超の箇所もあった(写真1)。
 また、植物の葉や花などを採集し、デジタルイメージングプレートに焼き付け、保存している。線量が高ければ黒くなるが、型で押したように植物の形が真っ黒に写った(写真2)。汚染が非常に高濃度であることがわかる。
 土を採取しており、今後ゲルマニウム検出器にかけて、プルトニウムやストロンチウムが含まれていないかなど、詳細に調べたい。


2年前のまま見えない展望

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(1)原発南3キロメートルの小入野集会所で線量を測定、(2)大熊町で採取した植物の放射線をイメージングプレートに記録、(3)避難者の家の中は震災直後のまま

 町民の方の住居にも入れていただいた。室内は、地震が起きた当時の2年前のまま。テレビが落ち、台所には洗いかけの茶碗がおかれ、洗濯物も干したまま。片付ける間もなく、着の身着のまま避難し、いまだに手付かずのままだということがまざまざと感じられ、今回の調査で最もショックだった(写真3)。
 チェルノブイリ事故で「3日間分の荷物を用意して」と言われ避難して一生帰れないという話を聞くが、福島でも全く同じだ。町民の方々は財産を全部残し、まともな補償もないまま生活している。
 事故2年となる今年3月、調査に協力いただいた方から送られてきたメールには、町民の苦しい思いがつづられ、やるせない思いと怒りに駆られる。抜粋して紹介したい。
 「(大熊町民の)96%の住民の住む区域は帰還困難区域です。故郷への帰還の目途はたっていません。『中間貯蔵』の調査が、町への事前連絡もなく開始され、国会で帰還できないと引導を渡すような発言があるなど、長期の避難で疲れ切った地域住民にさらに追い打ちをかけています。2年もたってこのような状態です。」「風化が進み、被災地での分断も強くなってきました。立地町と非立地町、原発被災者と津波被災者、強制避難者と自主避難者、東電の賠償金の対象者と非対象者、高齢者と若者などなど、それぞれの立場で分断があり、傷つけあっているような感じがします。賠償といっても、再出発できるような金額ではありません。私のように農業を営んできた者には、農地は血と汗と、先祖から営々と築いてきた、かけがえのない宝です。...強制されて移住させるなら、それ相応の補償があるべきなのに、再調達価格も提示せず、犠牲を強いているのです。」
 町民の方々は、突然先祖代々の土地から追い出され、今後の生活の展望をもてないまま、不安や苦しみ、怒りをかかえながら、2年間避難生活を続けている。
 生活は何も改善しないのに、事故は「収束」したと言われ、徐々に忘れられている。メディアが取材に来ても、あらかじめ決まったストーリーに沿って、必要なコメントだけ取って帰ってしまい、まったく実情を知らせてくれないと、憤っておられた。
 国の無策に振り回され、町民は国に強い不信を持っている。国に任せられない、自主的に調査が必要だと、汚染状況を調べ記録してほしいと言われている。
 原爆症でもそうだったが、放射線による健康被害が出るのは何年も経ってからだ。その際に、証拠となる記録を残したい。被災地を走った自動車のフィルターを集めて、放射線を分析・記録する取り組みも進めている。
 私だけの力ではできないので、多くの方々の力をお借りし、調査を進めなければならないと思っている。
子どもの甲状腺がん早期発見に検診を
 事故による放射線が健康に与える影響は、現われるまでに時間がかかることが多く、まだどうなるのか分からない。
 福島県は、県民の外部被ばく線量調査で、県民の積算実効線量推計値はほとんどが5ミリシーベルト以下で低いと発表した。ホールボディカウンターによる調査でも、線量が低いことになっている。しかし、回収率や実施率が低いなど、多数の課題を抱えている。
 気になるのは、子どもの甲状腺がんが次々と見つかっていることだ。私は当初、今回の原発事故では、チェルノブイリと違い、甲状腺がん患者は出ないのではと思っていた。
 しかし、福島県立医科大学の山下俊一教授がNCRP米国放射線防護・測定審議会(NCRP)第49回年次総会で行った記念講演によると、事故当時18歳以下だった福島県の子ども3万8千人のうち10人に甲状腺がんが見つかったという(うち3人が手術終了)。小児甲状腺がんの発症率は100万人に1人といわれ、非常に高い確率となっている。
 これについては、全児童の検査を行ったことで、これまでなら見つからなかった患者が発見されたのだと説明されている。甲状腺がんは発症まで最低数年かかるので、事故の影響なら潜伏期間が短すぎるという話もある。
 しかし、私は、事故の放射線がプロモーター、がん促進因子として働いた可能性を疑っている。
 チェルノブイリ事故の後も、がん発症率は事故直後に増え、一度下がってから、また増える。事故直後には、放射線が促進要素として作用して、がん化が促進される。放射線が発がん物質として働くのは、もう少し後になる。福島でも同じだとすると、今後多数のがん患者が生まれる可能性がある。
 早期発見のための検診体制の確立が必要だ。国や県に検診を実施するよう求めるとともに、独自で支援団体が自主検診を進めていく必要がある。住民には、行政の検査に対する不信が強く、検診を受けていない方がたくさんおられる。双葉町では、全日本民医連が検診を開始することが決まったが、その他の地域でも始められるよう関係団体の支援が必要だ。


座談会
避難長期化で増加する震災関連死

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司会 森岡 芳雄環境公害対策部長

 森岡 郷地先生のお話から、大熊町の高濃度汚染の状況と、住民の方々の悩み・苦しみが伝わってきた。そして、実態調査、検診の必要性が明らかになったと思う。ここからは意見交換をしたいが、まず加藤先生、武村先生に事故直後の住民の動きや健康状態などについてお話いただきたい。
 武村 加藤先生や住江保団連会長とともに2月11日、福島県二本松市の仮設住宅地に設置された浪江町津島診療所を訪問し、所長の関根俊二先生にお話をうかがってきた(詳細は、保険医新聞3月15日号)。浪江町は原発事故で全村避難となり、住民は二本松市中心に避難している。
 元の津島診療所は、原発から離れた位置にあったため、事故後多数の住民が避難してきており、15日まで診療を続けていた。しかし、原発が次々に水素爆発し、15日に全村避難指示が出て、町民とともに避難し、何度も避難場所を移すなか、避難先で仮設診療所を開き、診療を続けておられる。本当に立派で、こんな先生の存在が住民を支えていると感銘を受けた。
 加藤 先生によると事故当初、国からも東電からも情報提供が全くなかったという。避難指示が出る前にも周辺を完全防護服を着た人が出入りしており、住民が聞いても何も教えてくれなかったが、このときすでにかなりの汚染で、行政は知っていたのではないかと言っておられた。事故直後に安定ヨウ素剤も回ってきたが、配布の連絡があるまで預かっておいてほしいというだけで、その後指示もなく使用できず、町民は不要な被曝をしたと憤っておられた。

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武村 義人副理事長

 武村 18年前の阪神・淡路大震災と違いを感じたのは、住民の避難先が何回も変わっていることだ。阪神の際には、まず学校に避難し仮設住宅へ入居したが、福島では、放射能の影響もあり、3分の1の避難者が5回以上避難先を変えたという。避難所や親戚の家を転々と移動するうちに、徐々に家族がばらばらになってしまう。母親と子どもが逃げて父親だけが残るというパターンも多い。
 加藤 避難生活が長期化し、住民には生活習慣病、認知症、アルコール依存などが増えているという。阪神・淡路のときも震災から数年経ち、だんだんと孤独死やアルコール依存が増えてきた。
 展望がなく、家族もばらばらになり、仕事も奪われ、借金を抱えて、苦しみが幾重にも重なっている。阪神と違い、農業など一次産業に従事していた人が多いので、そんな人がいきなり避難所・仮設住宅に入れられ、ただ出される食事をとっていたら、体を壊してしまう。
 森岡 阪神・淡路で注目されるようになった震災関連死だが、福島では関連死が1184人と、震災による死者数の40%を占めており、被災3県のなかでも飛び抜けて多い。今後、さらに関連死・疾患が出てくるだろう。協会としても、もっと取り上げていく必要がある。
 加藤 東日本大震災の被災地全体を通じて言えるが、生活再建という観点がなく、阪神と全く変わっていない。健康を守るには、安心して医療・介護を受けられる必要があるが、国は、窓口の一部負担金の免除措置も、避難区域の住民以外は打ち切り、自治体任せにしてしまった。自治体が財源の2割を負担することになるため、免除措置を打ち切る自治体が出てきている。介護保険料も改定され、高額になった。医療・介護の保障は生活再建の基礎で、国が責任を持つべきだ。
分断許さず全員の救済へ

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加藤 擁一副理事長

 森岡 福島をめぐっては、何重もの課題がある。そのなかでも、避難された方々が生活の展望を持てないということが一番の問題ではないか。
 武村 確かに、放射能汚染があり、阪神のように、もう一度、町をつくり直すことが難しい。もとの土地に戻れるのかどうか、国の責任で情報をはっきり示し、その上で残るのか引っ越すのか、それぞれが決めるべきだと思う。そして、その選択を保障する十分な資金を届けることが必要だ。復興予算が総額25兆円もある。避難生活が長引き、生活が苦しくなり、帰らざるをえない方が生まれているが、生活に必要なお金を住民に保証すべきだ。そのため、運動を進め、国を動かさないといけない。
 郷地 福島から関西へ避難してきた方を診療しているが、福島に残っている人との間のギャップが大きくなってきているようだ。避難されている方によると、福島では徐々に放射線を話題にしないようになっているという。放射線を気にするのは過敏だと思われるので戻れない、と言われる。地域では声が出しにくいようなので、最小限の被曝になるよう努力しようと、周囲の医師や医療集団が声をあげ、行政に進言していかなければと痛切に感じている。 
 加藤 浪江町は、「どこに住んでいても浪江町民」をスローガンにすべての浪江町民の生活再建を目標に掲げていた。最後の一人まで生活再建しないと災害は終わらない。非常に筋の通ったものだと思う。
 今、避難区域や家族構成など、線引きによる切り捨てが起こっているように思う。全員がどこにいても、救済される権利があり、同じ被災者だという観点を欠かしてはいけない。
 森岡 阪神でも言われていたが、コミュニティが大事だ。コミュニティがなければ、つながりが切れ個々の責任に転嫁され、分裂・分断する。
 郷地 相談を受けていて、家族の分断、家庭崩壊が一番こたえる。避難者の多くは、子どもと女性だ。母が子どもを連れて避難していたが、2年経ち生活が苦しくなり父親が呼び戻す。母親は怖いので帰りたくないが、夫は大丈夫だといい、折り合いがつかず、家族に亀裂が入ってしまう。
 線量が高くても余生の短い高齢者はもとの土地に住めるようにすればいいと言われるが、実際に飯舘村の方に聞いたら「帰りたくない」と言われた。彼らは、牛を飼い、土を触ることだけを楽しみにしていたわけでない。家族、特に孫が「おいしかった」と言って喜んでくれるのを楽しみにしている。食べる人間がおらず、食べられないようなものをつくっても、何の生きがいもないと。やはり家族が一緒にいてこそ、避難生活ができ、次の生活再建ができるということをつくづく感じた。
原発・核ゼロ世界へ発信を
 森岡 最後に、東日本大震災と福島原発事故に遭った日本は確かに被災国だが、一方で世界中に放射性物質を撒き散らした汚染国でもある。その認識をわれわれはもたなければいけないと思う。
 武村 日本が原発を推進してきたことにより、取り返しがつかない汚染を広げてしまった。この反省を表明するには、やはり政府が脱原発を決定し、全原発を廃炉にすることだ。
 郷地 汚染に関しては、核兵器の問題を忘れてはならない。今回の事故の汚染も大きいが、大気圏核実験は、α線を出す放射性物質(ウラニウム、プルトニウムなど)を考えれば、何千、何万倍でも比較できないほどの汚染を撒き散らしている。その事実を同時に学習し、原発事故も見るべきだ。
 加藤 原発も核兵器も、ひとたび戦争・事故が起これば、人類の力ではどうしようもないような汚染が起こってしまう。3回もそれを経験した日本人が当事者として「やめよう」と声を上げれば非常に説得力がある。昨年、近畿反核懇談会で、韓国反核医師の会の金益重先生に話を聞いた。韓国でも日本を後追いするように原発建設ラッシュで23基の原発が稼働しているが、事故後、住民運動が起こっていると教えてくれた。国際的に連帯して、反核の声をあげていきたい。
 郷地 しかし、安倍政権は原発再稼動を打ち出し、原発輸出も推進している。自民党政権が原発を推進し、今回の事故を起こしてしまったという反省が全くない。
 武村 「収束宣言」などと言い、事故を忘れさせようという政府や財界の思惑をかなり感じる。そして、兵庫にいるわれわれも忘れつつあるのではないか。自戒を込めたい。
 森岡 今日は、原発内部や放射能汚染の実態解明、今後の健康被害予防のための検診、被災者全員を救済するための補償などを求めていくことが必要と確認できたと思う。課題は山積しているが、福島を風化させないために継続的な訪問・視察を続け、避難者・被災者に寄り添い、命・くらしを守るために兵庫からも声をあげ続けたい。そして、原発ゼロ実現のため、運動を強めていきたい。

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