兵庫県保険医協会

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兵庫保険医新聞

2014年5月25日(1751号) ピックアップニュース

東日本大震災 被災地訪問記 現状を知り、思い新たに

 兵庫協会は4月27日〜29日、東日本大震災被災地である岩手県野田村・田野畑村・陸前高田市・宮古市、宮城県気仙沼市・亘理町、福島県南相馬市・いわき市・飯舘村を訪問。兵庫協会から川西敏雄副理事長、広川恵一・白岩一心両理事、松岡泰夫評議員が、保団連から住江憲勇会長、京都歯科協会から平田高士理事・浜辺勝美事務局長が参加した。被災地では、福島協会の松本純副理事長・菅原浩哉事務局長、宮城協会の北村龍男理事長・鈴木和彦事務局長に案内いただいた。参加した松岡先生、白岩先生のレポートを掲載する。

参加記(1)
現地の方々の心境知る
長田区  松岡 泰夫

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岩手県田野畑村の開拓保健婦だった岩見ヒサさん(中央)に、半生を語っていただいた

 26日の夜遅く、医師2人、歯科医師2人、同行事務局2人が八戸で合流し、27日早朝に野田村へ向かいました。視察用のレンタカーの車内で簡単に結団式を済ませました。村役場では、小屋畑勝久教育次長に震災当時の様子や復興状況の説明を受けました。ここは津波に何とか持ちこたえ、その後の「救援の司令塔」としての機能を果たせたようです。5千人弱の小さな村故に、「顔の見える関係」が日ごろから築けており、連絡が密にとれ、村民の要求が早く実現しやすく、仮設住宅からの恒久住宅への移転も70%完了しているとのことでした。ほかの町村に比べ生活復興が非常に進んでいると感じました。
 次に田野畑村民俗資料館に寄り、圧政の続く盛岡藩に反旗を翻した「 三閉伊 さんへい 農民一揆」について学習しました。行政が主体となり「一揆」の学習をさせていることに本当に驚きましたが、ただ決して幕藩支配体制を覆すことを目的としていないところが日本的だと感じました。しかし、東北人の我慢強く、粘り強い気質だからできるのだろうなと勝手に納得しました。
 その後、元「開拓保健婦」の岩見ヒサさん(96歳)を訪問しました。岩手地方の開拓団は苦労も多く、特に妊婦や子育て中のご婦人たちに負担が大きかったようで、医学衛生面での彼女の指導は、かなり効果があったと思われます。
 大阪生まれのヒサさんは「短歌」を通じて知り合った「胸を患っている」と自ら告げた男性と、その一途な愛ゆえに結婚。しかし、その夫を戦後すぐに病で失い、さらに一粒種の可愛い長男とも、白血病で死別してしまいました。生きる気力を失っているときに、ふと「他人の幸福のために自分が生きること」、「生かされることの大切さ」に気付いたとのことです。岩手の山村の自然の美しさに魅了され、亡き夫の親戚にあたるやさしいお坊さんの岩見対山さんと結婚され、開拓農村で活躍されたとのことでした。
 地域の女たちだけでお産をしていた環境で、経験ある助産婦であるヒサさんへの信頼感は増すばかりだったことは想像に難くなく、戦後すぐは回虫症が蔓延しており、持参していた「特効薬サントニン」を少なめに使ったところ、たちまち名保健婦として名声を誇るほどになったとのことでした。
 ヒサさんは、昭和30年代に「原発誘致」の話が持ち上がったときに、「原発反対」を説く広瀬隆さんの本を読んで、愛すべき郷土に「危険な原発」は不要と反対したとのことでした。当時、村の予算が5億円で、35億円のお金が降って湧いてくるとの電力会社等の「甘言」があったようで、男性陣はもろ手を挙げて賛成されたようです。彼らに原発の危険性や、一度事故を起こしてしまうと取り返しがつかないことなどをじっくりと語り、もしくは広瀬さんの本を無償で送り読んでもらったようで、結局岩手には原発が作られませんでした。
 ヒサさんは、高齢ですがとてもチャーミングで、表情豊かに、時には悲しそうに、時には満足げにお話しくださりました。彼女と交流ができ、参加したかいがありました。
 南下して、陸前高田市の地域交流施設「朝日のあたる家」で笑顔の可愛い行本清香さんと交流しました。津波で押し流され、何もなくなった更地に建てられており、地域活性化の拠点としてはあまりに小さいかもしれませんが、その志は輝いておられました。被災地域で何とか皆が集える共同スペースづくりに努力されていることに共感・感動しました。
 本当に充実した東北応援視察でした。診療所の代診が見つかっておれば福島まで行けたのにと悔やむことしきりです...。
参加記(2)
被災者の生活再建へ引き続き支援を
赤穂郡・歯科  白岩 一心

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「南相馬では多くの家族が分断されたまま」と訴える南相馬市・雲雀ヶ丘病院副院長の
堀有伸先生

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松本純・福島協会副理事長(右端)の案内で、避難指示区域である飯舘村を訪れ住民(右2人目)の声を聞く住江保団連会長(左端)、
広川理事(左2人目)

 訪問では、憲法を守り抜く立場を鮮明にしていくことを念頭に置いた。被災地の現状から、いかにして復興対策を医療運動に転換すべきかを考える日々となった。後半の参加記をつづらせていただく。
 28日、津波被害だけでなく、原発事故による生活再建が急がれる福島県に入った。東京電力の無能さ、政府の情報公開をしない姿勢と秘密保持体制。放射線被ばくという目に見えない怪しい悪魔との戦いが目に付く。
 南相馬市・雲雀ヶ丘病院では、保団連の住江会長から、「現地を訪問して、現地の方々と共感し、共有した全てを全国に必ず発信していく」と、心強いごあいさつをいただいた。
 堀有伸副院長から、原発事故によるPTSDの患者さんは見られず、三世代同居だった多くの家族が分断され、高齢者の認知症患者が圧倒的に増えたとの解説をいただき、支援者の必要性を訴えられた。政府が介入するならば、継続性のある安心安全な対応および政策を取ってほしいとの熱い思いをお聞きした。前回訪問からたった半年で堀先生が変わられ、迷いが吹っ切れておられる姿が印象的だった。全てを放り出して、事故後にあえて被災地に飛び込んでいかれた堀先生に、憧憬の念が強くなった。
 次に訪問した同市内の大町病院では、猪又義光院長の南相馬から決して病院をなくさないという信念で、必死に患者さんと向き合う姿が印象的だった。また兵庫協会のように、処方箋調剤薬局の重要性、管理薬剤師の方々との協力の必要性も訴えられた。そして老人保健施設を同市に必ずつくるという壮大な夢も持ち続けておられる。
 藤原珠世看護部長は看護師不足解消のため奔走されている。同市には、原発20㎞圏内から避難されている方々がおり、仮設住宅から今後公営住宅に移住される。医師・看護師不足が顕著だと医療の質が落ちかねない。政府は、社会保障改悪を断行しているが、原発事故は人災であり、本気で福島県の実情を改善する責務がある。
 キーワードは、「分断」である。家族、自治会、教育、職場、地域コミュニティーの分断などは被災地に共通している。
 29日、いいの診療所・松本純先生が飯舘村を案内してくださった。復旧・復興の遠いかげりを感じた。村の現実は、放射線量が高く、いつ自宅に戻れるか全く予想もつかない。
 原発については、医師・歯科医師も、国民の命を守る職業人として、政策を立案し、政府に訴えていかなければならない。事実を確実に全国に発信していく必要性も高い。
 再び宮城県に入り、亘理町・鳥の海歯科診療所の上原忍先生を訪問し、宮城協会の北村龍男理事長、鈴木事務局長と懇談させていただいた。仮設診療所なのに、最高最新の設備にびっくりし、技工室の充実ぶりにも驚愕した。歯科医療の充実に賭ける夢や希望を心底感じた。

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仮設だが最新の設備がある鳥の海診療所

 今年3月11日に兵庫協会が贈った哀悼およびエールのメッセージを被災3県の協会が共通して喜んでくださったことを、お会いして身に染みて感じた。
 被災地医療に携わっておられる先生方は、命がけで従事されている。兵庫県民、兵庫協会会員として、引き続いて被災地の生活再建に向けて、被災地の皆さまと共に、立ち向かって行きたいと思う。
 かけがえのない尊い命を共に感じて...。
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