兵庫県保険医協会

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兵庫保険医新聞

2015年1月05日(1771号) ピックアップニュース

新春インタビュー(1)「最良の薬は人との出会い」

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作家・精神科医 帚木 蓬生さん
【ははきぎ ほうせい】1947年、福岡県生まれ。東京大学仏文科卒業後、TBSに2年間勤務。退職後、九州大学医学部に学ぶ。フランス政府給費留学生としての聖マルグリット病院神経精神科勤務などを経て87年に九州大学医学部神経精神科医局長、88年に九州大学退職。現在は、福岡県内でメンタルクリニックを開設。福岡協会会員。『三たびの海峡』(吉川英治文学新人賞受賞)、『閉鎖病棟』(山本周五郎賞受賞)、『逃亡』(柴田錬三郎賞受賞)、『水神』(新田次郎文学賞受賞)、『日御子』(歴史時代小説作家クラブ作品賞受賞)など著作多数

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聞き手 加藤 擁一副理事長

 開業医として福岡県内で診察のかたわら、時代小説『水神』『天に星 地に花』や、戦時中の軍医を書いた『軍医たちの黙示録』など作家として知られる帚木蓬生氏を加藤擁一副理事長が訪問。日本の社会保障制度や戦争と医の倫理についてお話を伺った。

診察と執筆活動の両立
 加藤 本日はありがとうございます。実は先生の著書『逃亡』を読んで以来のファンで、とても楽しみにして来ました。さっそくですが、先生が小説を書き出したのは医師になってからですか?
 帚木 医学部の学生時代ですね。医学部に入ると材料が転がっていたので書き始めました。卒業と同時に作家デビューしてから30年がたちました。
 加藤 診療を終えてから執筆されているのですか。
 帚木 いえ、朝の4時から6時の間に書きます。毎日4枚くらい書き進めて、月に100枚、年に1000枚になるので本1冊ができます。お百姓さんと一緒で、毎日少しずつ書いて、ちりも積もれば山となるという思いです。
 加藤 日々の診療と執筆活動を両立させるのは大変ですね。
 帚木 そうですね。でもいいこともあります。医師としての収入があるから、売れないテーマでも好きな本が書けるんですよ。プロの方はその時々のニーズに合わせて売れる作品を書くようですが、私はマーケットなど考えたこともありませんでした。
江戸時代の医療に教えられること
 加藤 先生の近著『天に星 地に花』を読ませていただきました。江戸時代の医師を主人公とした話の中に、先生の医療観や医師像が書かれているように思いました。
 帚木 江戸時代の医療も馬鹿にするものではないですよ。現代の医療が薬ばかりに頼って、見逃しているものがあると思います。
 『天に星 地に花』で書いた医師の教えは、西洋の医学に加え、自然治癒を大切にすること、丁寧・反復・婆心(親切心を持って患者さんを診ること)、そして医は祈りであるということです。
 精神科には目薬・日薬・口薬という言葉があります。まず、「あなたの苦しみは主治医の私がよく見ていますよ」という目薬。次に、毎日の反復で丁寧に婆心を持って治療する日薬。そして口薬も大切です。「今ここまで治ってきているから、もう大丈夫ですよ」と励ますことで、患者さんが良くなります。
 加藤 作中でも、たとえ治療法がなくても、患者さんの話を聞くことが医師の仕事だとしていましたね。
 帚木 「人の病の最良の薬は人である」というセネガルの格言があります。これに倣って私は医院の領収書に、「人の病気の最良の薬は出会いです」と書いています。出会いが患者さんにとって最大の薬になるように心がけています。
皆保険制度は「世界の遺産」
 加藤 今の時代も庶民のくらしが厳しいところは、物語の舞台となった江戸時代と似ていますね。
 帚木 作中で首をはねられた37人、あの人たちは偉いですね。身を賭して、人頭税をなくしました。現在の消費税と当時の人頭税は似ていますが、今の人たちにそういう反発心はないんじゃないかと思います。やはり体制に流されてはいけません。
 加藤 江戸時代には庶民はなかなか医師にかかれなかったと思いますが、今は国民皆保険制度があります。日本の医療政策についてどう感じますか。
 帚木 国民皆保険制度はすばらしいですね。2008年に急性白血病にかかった時に、半年間ほど入院しました。医療費全体は2000万円くらいかかったと思いますが、高額療養費制度のおかげで、実際の負担は非常に少なかったのを覚えています。私が入院したのは北九州市の病院でしたが、東京の大病院と変わらないレベルの医療が受けられました。日本のどこでも高い水準の医療が保険で受けられるのは、制度の優れた点です。
 加藤 そうですね。しかし、だんだん患者さんの負担が増えています。
 帚木 やはり患者負担増は問題です。この制度をさらに充実させて日本の宝として世界の遺産にしていくべきです。
忘れてはならない戦争犯罪

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『蠅の帝国−軍医たちの黙示録』
15人の軍医たちが見た戦争の姿を重層的に描く短編集。後編『蛍の航跡』とともに日本医療小説大賞受賞(2014年、新潮文庫、853円)

 加藤 太平洋戦争下の軍医たちを描いた『軍医たちの黙示録』は先生の思いが詰まった作品のようにお見受けしました。
 帚木 「医事新報」で戦時中のことが書かれてあるエッセイを20年ほど集めていたのですが、整理した時に、これをまとめるといい物語ができるなと思いました。そしてできたのが、この本です。医学部に入っていなかったら、題材が集まらなかったと思いますね。
 加藤 戦時中は、医師が軍医として戦地に連れ出され、人の命を救えなくなると作品から感じました。どれくらいの医師が戦地に連れ出されたのですか。
 帚木 私は軍医には一部の人がなるものだと誤解していました。しかし実際は、軍医補充制度で根こそぎ43歳以下の医師が軍医としてとられました。軍医予備員が4カ月ぐらいの教育の後再召集されたのです。大病院の中堅の先生、大学の助教授などは、ほとんど全員ですね。32歳以下は短期現役軍医制度で、2カ月の教育で見習士官になりました。海軍軍医学校では、昭和18年卒業が半年繰り上げられて3割が戦死、九州大学でも昭和17年卒業は2割が戦死しています。また残された44歳以上の医師も、住民が残っているために疎開ができず、亡くなった人が多かったのです。
 加藤 医師が戦争犯罪に手を染めた歴史もあります。昨年春にハルビンの731部隊の遺跡と資料館に行って、本の中でしか知らなかったことが、実感をもって伝わってきました。
 帚木 戦争犯罪というと、九州大学では生体解剖事件がありました。両方とも忘れてはいけない歴史です。医学では新しいものを追い求めることも大切ですが、歴史を忘れたら根なし草になってしまいます。
戦争を起こさないための政治
 加藤 歴史を知れば、戦争をしてはいけないと強く思うのですが、最近の政治を見ていると、不安になるところがあります。
 帚木 政治家は歴史を知らないのではないでしょうか。彼らは戦争の危険から国民を遠ざけるべきなのに、まるで正反対です。たとえばアジアでは、中国・韓国と協力体制を深めなければならないのに、対立してどうするのでしょうか。
 加藤 その一方で、民間では日中韓にしっかりした交流があります。この交流がある限り戦争は起こらないとハルビンで中国の方も話していました。
 帚木 民間人の方が立派です。指導者が意固地になっていがみ合うのは自らの失政の目くらましなのでしょうが、本当の政治家のすることではないですね。
 加藤 日本も朝鮮を植民地支配したことや中国の731部隊の出来事に対して、謝罪や反省の態度がないようでは、何も始まりません。
 帚木 やられた側は覚えているから、そのような態度では、相手国を逆なでしてしまうでしょう。それぞれの国がもう少し賢くならないといけません。
 加藤 最後に若い先生たちに伝えたいことがありましたら一言お願いします。
 帚木 多くの医師が戦争の犠牲になったことを忘れてはいけません。医師が人の命と健康を守れなくなるなど、戦争によってあらゆる人が職能を果たせなくなるのです。これは銀行員や弁護士も同じです。われわれもそのことを肝に銘じて、政治について考え、行動しなければなりません。
 加藤 保険医協会と保団連も、医師・歯科医師の職能集団として設立以来、平和を守る運動に取り組んでいます。
 帚木 とても重要なことだと思います。みなさんの奮闘を期待しています。
 加藤 今日はありがとうございました。
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