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兵庫保険医新聞

2015年8月05日(1790号) ピックアップニュース

インタビュー『ひょうごの医療』 医師不足で疲弊する但馬の医療

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豊岡市日高町谷垣医院 谷垣 正人先生
【たにがき まさと】1950年生まれ。75年金沢大学卒業、同年大阪府立成人病センター、81年高知県土佐山田保健所、84年同所長、89年大阪府立成人病センター循環器健診第一科部長、96年公立八鹿病院内科医長を経て2000年開業。01年協会但馬支部幹事、09年副支部長、11年協会評議員、13年理事、14年支部長代行

 深刻な医師不足など、地域医療の存続が課題となっている但馬地域。住民に寄り添い地域医療を担っている谷垣正人先生(但馬支部支部長代行)を、辻一城副理事長がインタビュー。医師を志すにあたっての思いや、公衆衛生の向上をめざす活動の経験、但馬の医療問題について伺った。

伯父の稲次先生の大きな影響
  まず先生が医師を志したきっかけを教えてください。
 谷垣 大阪府保険医協会の創設者の一人である稲次直己先生(元大阪協会副理事長・保団連組織部長)を伯父に持ったことが非常に大きいですね。小学生までは但馬にいたのですが、大学に入学するまで大阪の稲次家に預けられました。
 稲次先生は保団連の組織部長として、各地に協会を設立するため全国を飛び回っていて、よく伊丹空港まで伯母と見送りに行っていました。私は飛行機見たさについていっていたのですが(笑)。
  そんな小さい時から保団連・協会と関わりがあったのですね。
 谷垣 他にも稲次先生から「医師であれば貧困をなくすために社会問題に取り組むべきだ」などと日々聞いて育ったので、高校では社会科学研究部に入り、当時から小選挙区制導入反対の運動等を行いました。
 金沢大学でも社会医学研究会に入り、農村で各家庭の生活状況を聞き取り、健康教室などを開いたり、健診を行ったりするフィールド活動に取り組みました。ちなみに妻の父は大阪協会の副理事長だった細川一眞先生です。
  稲次・細川両先生とも大阪協会、保団連に多大な貢献をされた大幹部ですね。びっくりしました。
公衆衛生の向上をめざすフィールド活動

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聞き手 辻 一城 副理事長

  大学を卒業されてからはどちらに。
 谷垣 大阪府立成人病センターの小町喜男先生の「日本人の動脈硬化の要因は塩分の取りすぎである」とする実地調査結果に興味を持ち、成人病センターで6年ほど公衆衛生の研究をしました。
 81年には同センターのフィールド活動の拠点である、高知県の土佐山田保健所の所長として管轄の市町村で、ほぼ毎日健診活動を行っていました。
 老人保健法もでき、法的な裏付けもできたので活動を広げ、健診方式を高知県で統一したり、共通のカルテを作ったりしました。
 9年間で高知県の脳卒中の死亡率が何割も減るなどの明確な効果が出ました。健診などの予防の大切さを行政になかなか理解してもらえず残念でしたが、やりがいのある仕事でした。
  すばらしいですね。
父が病気にかかり地元但馬で開業
  開業のきっかけは。
 谷垣 但馬で開業していた父が重い病気にかかり、もともと地元で地域医療に関わりたい思いもあり、医院を継ぐ決心をしました。
 公立八鹿病院などで臨床を行った後、2000年に父の医院の近くで開業しました。高知県で活動していたころは、データは出ますが具体的に患者を助けた実感はあまり持てませんでした。開業して患者さんの苦しみを取り除き、感謝されるのはうれしいです。
 介護認定で意見書を書く際には必ず往診し、家族関係など、できるだけ立体的に患者さんのことを知るよう努力しています。
  バリアフリーの状況などは直接家に行かないと分からないですからね。
ドクターヘリの救急と他科での医師不足
  但馬の医療事情について教えてください。
 谷垣 但馬は兵庫県の面積の約4分の1を占めるにもかかわらず、人口は17万5千人と県全体のわずか3パーセントほどで高齢化も進んでいます。拠点病院としては北但に公立豊岡病院、南但に公立八鹿病院があります。かつてはそれぞれの地区にある九つの公立病院が救急を担当していました。
 ところが10年前に研修医制度が変わり、医局の医師派遣能力が下がり、どこの病院も勤務医が不足しました。この現状を解決しようと各病院の医師を豊岡病院に集約し、さらにドクターヘリの運用で救急体制は大きく変わりました。
 今豊岡病院には救急医だけで20人ほどいます。一度心筋梗塞の患者が来院した際ドクターヘリを呼んだことがあるのですが、5分くらいで飛んできて、医院の目の前の田んぼに着陸し、患者を搬送しましたね。
  すごいですね。
 谷垣 ええ、ただ救急ばかりに医師が集まり、他科の医師は足りないという問題も起こっています。先ほどの心筋梗塞の患者さんも、後で確認すると、豊岡病院には循環器科の医師がおらず、福知山市民病院に搬送されていました。
  難しい問題ですね。医師の絶対数が足りていないよう感じます。
但馬の実情もっと知ってほしい
  公立八鹿病院について教えてください。
 谷垣 もともとは小さな病院でしたが、今の名誉院長の谷尚先生(協会但馬支部顧問)が「救急患者は断らない」方針をたて、少しずつ地域住民の信頼を得て、患者が増え、病院を大きくしていきました。
 しかし、研修医制度の改編で医師が減る中、診療を続けるため外来を予約制にしたことと、救急を豊岡病院へ集中したことで患者が減りました。そこで県養成医配置責任者の先生を組合管理者に招くことで医師を呼ぼうとしました。
  大きな期待を持って迎えられたでしょうね。
 谷垣 はい。しかし行われた「経営改革」は赤字の原因を勤務医の努力不足に求めるという、病院の実情を理解していないものでした。何人もの勤務医が辞表を提出。300人を超える市民が集会を開き、勤務医・職員が管理者罷免を要求する嘆願を養父市長に提出する事態になりました。
 結局管理者の先生は辞職し、長年がんばってこられた勤務医は転出、新たに神戸大学から医師が派遣されたものの、研修医も減りました。
  この問題の背景には何があるのでしょうか。
 谷垣 国の医療費抑制、医師数抑制政策と、県が公立病院の赤字をなくすことしか考えず、豊岡病院などの高機能病院のみに医師を集中させたことでしょう。
  国はさらに都道府県に地域医療構想を策定させ病床を削減し、医療費にキャップを設けようとしています。今後、より医療費抑制政策を進めようとしていることを考えると、さらにあちこちで問題が起こると思います。
 谷垣 今、但馬の医療は、医療従事者の犠牲によってなんとか成り立っています。そこに、さらに財政主導で抑制策を続ければ、但馬の医療は崩壊してしまいます。医療者が地域医療を守る立場で、住民と共同・協力することが重要です。
  最後に、協会への要望を教えてください。
 谷垣 但馬の問題を県全体の問題としてとらえてもらいたいですね。但馬で起こっている問題は今後どこでも起こりうることです。
 また、私の患者さんは高齢により毎年50人、この10年で500人ほどが亡くなっています。地域として地区や村がなくなるような事態が進んでいるということを知っていただきたいですね。全国でも自治体消滅が危惧されていて、高齢化は深刻な問題です。
  深刻な現状がよく分かりました。協会も但馬の現状をよく知り、県全体の問題としてとらえていきます。ありがとうございました。

インタビューを終えて
 学生時代から社会医学に興味を持たれて、卒後は公衆衛生の分野に進まれ、保健所長を経て故郷で開業されるまで、常に地域住民に寄り添う医療を黙々と実践されている谷垣先生は、地域医療の王道を歩まれている先生だと感じました。
(辻)

【稲次直己先生】
 1909年生まれ。戦前、大阪高等医専に入学し、学生運動で一時退学処分になるも後に復学。卒業後は無産者診療所である東成診療所で活動。戦後、関西医療民主化同盟結成、大阪協会設立に携わる。大阪協会初代組織部長、保団連初代組織部長に就任し、各府県の協会設立に奔走。組織づくりの鬼、全国開業医運動の育ての親と慕われる。大阪協会副理事長など役員を歴任し、98年ご逝去。
【細川一眞先生】
 1926年生まれ。52年大阪大学卒業。稲次先生の紹介で大阪協会に入会し、大阪協会副理事長など役員を歴任。69年に森永ヒ素ミルク中毒事件による後遺症が明らかになると被害者救済運動に取り組む。薬価の国際比較・ビタミン剤の保険外し反対運動・健保改悪問題などで国会で参考人として陳述するなど、保険医運動を積極的に進めた。2011年ご逝去。
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