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兵庫保険医新聞

2016年4月25日(1812号) ピックアップニュース

特別インタビュー 東日本大震災・福島第一原発事故から5年「福島の声を聞く」
持続的に拡大しつづける原発被害

 東日本大震災と福島第一原発事故から5年。事故原因の解明は進まず、今も約10万人が避難生活を送っている。福島県の住民はどのような思いで5年目を迎えたのか。加藤擁一・森岡芳雄両副理事長が、福島県を訪れ、医療生協わたり病院の齋藤紀先生に、現地の現状や住民の健康状況などについて話を聞いた。

増え続ける原発事故関連死
 加藤 今年は阪神・淡路大震災から21年、東日本大震災から5年となります。震災に加えて原発事故被害があり、二重の大変さを抱えている福島県の状況を兵庫県の先生方に知らせたいと、インタビューをお願いしました。この5年間を振り返っていかがですか。
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福島県福島市・医療生協わたり病院 
齋藤 紀先生
【さいとう おさむ】1947年宮城県生まれ。福島県立医科大学卒業。広島大学原爆放射能医学研究所で内科・臨床血液学の研究に従事。88年広島中央保健生活協同組合福島生協病院院長・名誉院長を経て、09年〜現職

 齋藤 患者さんを日々診察するという点では、事故前も今も同じです。変わったのは原発事故の状況、放射線被曝の人体障害について話を続けていることです。事故直後から保育士や幼稚園の先生、医師、教師、その他職業の別なく、避難者にもそうでない方にも、呼ばれれば講演をしてきました。2011年秋から、福島市の依頼を受け、市民に対して、全行政区を網羅する形で、年間を通し講演する取り組みを現在まで続けています。
 加藤 患者さんや住民の状況はいかがでしょうか。震災関連死が多いとの報道が気になります。今年2月末までに震災関連死と認定されたのは岩手県459人、宮城県920人、そして福島県は2026人にのぼり、この1年で新たに認定された129人のうち112人は福島県とされています。
 齋藤 震災関連死は、福島県では「原発事故関連死」と言えます。その内、内閣府が明確な定義を定め統計をとっている「震災関連自殺」について見ると、昨年までで福島県で80人にのぼります。時が経つにつれ、岩手県・宮城県では減少傾向にありますが、福島県ではむしろ増加しています(図)。
 森岡 原発事故による避難生活の影響ですね。
 齋藤 ええ。将来を展望できないまま、今も避難を続けざるを得ないことと関連しています。避難指示区域避難者約5万人へのアンケートでは、半分近くが家族離散状態であることが分かっています。避難=家族離散と生業喪失となっている方々が多いのが現実です。5年経って事業を再建できた人は多くなく、先が見えず、うつ状態も含めて原発関連疾病にたどり着いてしまうのです。
 森岡 阪神・淡路大震災後も、お年寄りが住み慣れた環境を離れたことで、震災関連死を生んでしまいました。原発事故では、そこに家族関係の崩壊が重なり、さらに厳しい状況ですね。
 齋藤 さらに問題なのは、その苦しい状況も個々で違いがあり、胸襟を開いて話をすることも難しい場合があります。放射線ひとつにしても、「何でそんなに怖がるの?」「何で平気なの?」となり、分かってもらえないと、口を閉ざしてしまうことになります。
 森岡 兵庫県に避難された方を健診などで支援していますが、同じような話を伺います。政府によって事故を起こされ、避難を余儀なくされているにもかかわらず、地元の方の中で分断が生まれてしまっていることに憤りを感じます。
甲状腺がんをどう見るか
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聞き手 加藤 擁一 副理事長

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聞き手 森岡 芳雄 副理事長

 加藤 18歳以下の県民を対象とした県民健康調査で、100人以上が甲状腺がんと診断されていますが、原発事故の影響をどう見ておられますか。
 齋藤 現在は少し冷静さを取り戻してきましたが、絡んでほどけない毛玉のような問題になっていたと思っています。
 公表された健康調査の結果を見ると、「がん」と「がん疑い」の診断率は、どの地域もほとんど0.04%で一致し、サイズも平均年齢も差はみられません。また、小児の方が、感受性が高いとされますが、事故時年齢4歳以下の「がん」「がん疑い」はゼロです。この結果を見ると、少なくとも今のところ、放射性ヨウ素によって甲状腺がんの多発が起きているとはいえません。
 甲状腺がんが放射性ヨウ素によって誘発されたとするならば、発生率と甲状腺被ばく線量が相関関係を示さなければなりません。チェルノブイリ事故が教えてくれた重要な知見です。
 森岡 私も今の状況では、数年の潜伏期間も考慮すると、原発事故による被害で増えているとは言いにくいと感じます。
 齋藤 一番苦しく不安なのは当の子どもたちです。本来、臨床医は、多面的、専門的知見を踏まえ、状況を冷静に扱う能力が求められます。実際の被曝量を踏まえ、またチェルノブイリ事故被災の知見(甲状腺がん相対リスク約5倍/グレイ)を踏まえてみれば「甲状腺がんが通常の50倍も100倍も起きている」との主張は、やはりその手前で一歩立ち止まるべき見解といえます。
賠償打ち切りは棄民政策
 加藤 国は住民に帰還を勧めていますね。避難区域のうち、「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」を、遅くとも2017年3月までに解除する方針を決めています。
 齋藤 避難指示解除にあたり、私は二つ問題があると感じています。
 一つは、放射線の線量について、年間でなく、住民の生涯線量で考える議論がほとんど行われていないことです。仮に毎年20ミリシーベルト近い被ばく線量で住み続けると、生涯の積算線量はとても許されない数値となってしまいます。
 もう一つの重要な問題は、低線量の地域にいったん避難していた人を、わずかでも高い線量の場所に戻すことの問題です。人体の問題としては逆行で、アプリオリには肯定できない性質をもっています。この問題は一方で倫理的、他方で社会的な問題といえます。この逆行が許される場合は避難先からの帰還により社会生活上の便益が向上すること、そして行政の施策が住民に真に支えられた場合です。
 森岡 私はぜんそくの公害患者を診てきて、公害運動に関わってきました。公害団体がめざすのは「よりきれいな」空気です。汚染物質は少なければ少ないほうがいい。放射能被害についての考え方もそうだと思います。何ミリシーベルトと線引きするのではなく、されなくてすんだ汚染があるのだから、そこから「避難する権利」は認められていいと、県外の住民である私はそう見てしまいます。
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震災直後に福島県伊達市で住民に講演する齋藤先生

 齋藤 その通りです。その上で、次に問題となるのは、生活するという問題です。
 「避難の権利」はあります。しかし「避難の現実」は、家族がばらばらになり、福祉や教育、地域コミュニティーなどのセーフティーネットを失うことでした。自分自身でセーフティーネットを築ける方は少なく、多くの方々は「難民」状態となりました。そのような方に「権利があるから帰る必要がない」と言うだけでは生きてゆけません。他方で帰還の問題も、その中身をもう一度吟味する必要があります。いずれの考えでも、現実にその人の生活を守るために何ができるか、冷静に状況を見なければなりません。失ったものをすべて取り戻すことはできないけれど、時間をかけても、コミュニティーを含め、取り戻せるものは取り戻そう、その可能性を探ろうとしている方がほとんどなはずです。
 森岡 気になるのは、国が「安全だから帰れ」と音頭をとっていることです。決めるのは住民ではないでしょうか。
 齋藤 そう思います。本来、住民の合意が前提です。合意もオール・オア・ナッスィングではなく、漸進的、段階的であるべきです。一番の問題は、避難解除がすなわち賠償打ち切りとなっていることです。帰っても病院もスーパーもなく、仕事もない。こんな中、賠償を打ち切るのは棄民政策ともいえるものです。
 森岡 住民に、避難する権利・帰還する権利のどちらも、経済的にも政策的にも基盤が保証されておらず、権利として確立していないということですね。
 齋藤 ただ重要なことは、二つの「権利」は二項対立ではないということです。実際に事故直後も、その後も、この二つの実態は、相互移行的だったのです。避難した人と残った人との間に対立が起き、皆苦しんできましたが、それは固定的・対立的にとらえる潮流が形成されたためです。全国から支援の流れが続きましたが、これらのNPOは一貫して全避難者のゆるやかな団結を常に模索してきました。それを断ち切ってきたのは、第一義的には国・東電の不誠実な姿勢ですが、同時に住民運動側も無縁ではなかったと思っています。
 加藤 住民がどのような選択をしようと保障する義務が、事故を起こした国や東京電力にあるはずです。私たちも福島の方々の声を聞き、思いに寄りそっていかなければと感じます。
 森岡 特に、高齢の方は放射線の影響が出ることも少ないでしょうし、長年暮らした故郷に帰還して、住み続けるのを支える必要があるのでしょうね。
 齋藤 今でも避難指示区域内で、野菜を作り自給自足で暮らしているひとりのお年寄りがおられます。これはその人の自己決定権に属することで、いいの診療所の松本純所長(福島協会理事長)が往診してサポートしています。一般的に言えば、高齢者は家族や地域のなかに一緒に存在してはじめて社会的に「高齢者」なのであり、高齢者だけを積極的に残すという社会的選択は成立しません。
 森岡 長年慣れ親しんだ環境・コミュニティで、子や孫とともに生きたいというのが、高齢者の方の願いだと思いますが、それが叶わないということがつらいですね。
 加藤 県民のこれからの生活や健康をどうみられていますか。
 齋藤 原発事故による被害は持続すると思っています。国は、避難区域の解除とあわせ、事業者への「賠償打ち切り」を決めました。避難区域におられた約8千の事業者に対して、営業損失の補償は2015〜16年度の2年間を最後にするとしています。さらに、全県の農家や観光業に対する風評被害の補償についても同じく16年度で打ち切るとしています。
 これは、原発事故被害の第二撃だと思います。原発が爆発し汚染された第一撃によって、第一次産業は被災し、住民は避難を強いられました。第二撃は、政策的被害です。被災者の被害に対する賠償に十分に応じないなどの政策が被災者を苦しめ続けてきました。
 この後さらに第三撃も来るだろうと思っています。TPPです。福島は農業が基幹産業で、事故により大きなダメージを受けました。農民の方々は安全な作物を作るため、努力に努力を重ねてきました。今、福島の米は全袋検査で放射線物質が基準値以下になり、作付面積も増えています。しかし、この間、米価は下がっており、さらに福島産の米は価格を低く抑えられています。TPP導入でさらにダメージがあるでしょう。
 加藤 神戸では、阪神・淡路大震災のあと、政策がもたらす被害を「復興災害」と呼び、運動してきました。国の政治がもたらす二重三重の苦しみは、本当に大変です。
 齋藤 国の賠償金は総額6兆円を超えましたが、それでも被災者の将来がなかなか見えません。原発被害はその特性として持続的拡大性といえます。
聴診器を社会にあてて発言していくこと
 加藤 最後に、この福島の現実に対し、われわれ医師・歯科医師はどのような立場をとるべきか、お考えをお聞かせください。
 齋藤 二つあると思います。2011年の事故前、スリーマイル島やチェルノブイリ事故を研究されておられる、アメリカの精神科医のブロメットが「チェルノブイリ事故は身体的・精神的・社会的と複合的なものである。被災者が線量を理由に賠償等々の補償を受けられない、放射線が賠償打ち切りのネガティブな理由に使われる」などと書いておられました。われわれの場合に引き寄せて考えても重要な指摘でした。
 彼女はまた、被災者が一番苦しんだときに行くのは町の医者のところだ、とも書いています。開業医はそのとき、聴診器を被災者の身体だけでなく、心にも、社会にもあてなければなりません。開業医の役割は大きいと思います。
 もう一つは甲状腺がんの問題です。この問題で私たちは非常に苦しみました。「甲状腺がん多発」以外の意見を言えば、非難されるような状況が続きました。原発廃炉を願うもの同士でも、この問題をめぐり対立が起こったといえます。私は「多発と主張することは困難」と言い続けてきました。同時に、私は長崎・広島の被爆者の生き方をふまえ、ここで生きていける、生きていこうと、住民の方に伝えてきました。科学に片足を置き、生きる社会にさらに片足を置き、医師としてサポートする、その気持ちで過ごしてきました。
 加藤 大変難しい問題だと思います。私たちは阪神・淡路大震災に遭い、政策的に起こされた被災者の復興災害があり、住民とともに運動してきて、被災者生活支援法を成立させることができました。その経験を活かし、東日本大震災被災地・被災者と一緒に運動したいと思っており、5年間で30回以上にわたり被災地訪問活動も続けています。阪神・淡路から20年経っても、借り上げ復興住宅からの追い出し問題のように、まだまだ苦しみは残っています。復興までは長い闘いと思いますが、あきらめず共にがんばっていけたらと思っています。
 森岡 国は、原発事故被害を風化させようとしていますが、被害は今後ずっと続きます。賠償をたった5年で打ち切ってしまうことは許せません。政府も電力会社も、事故を忘れたように再稼働を進めようとしていますが、再稼働阻止のための運動が私たちにできることと思います。本日はありがとうございました。

図 震災・原発事故に関連する自殺者数の推移
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