兵庫県保険医協会

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兵庫保険医新聞

2017年2月15日(1837号) ピックアップニュース

特別インタビュー 熊本地震 南阿蘇村の現状
地震を通じ地域医療の課題明らかに

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インタビューを終えて、皆で記念撮影。前列が村本奈穂氏、後列右から田村尚子先生、山口彩子先生、広川恵一先生、加藤擁一先生、二胡奏者の劉揚氏、同マネージャーの司馬君子氏(2016年12月25日、リハセンターひばりにて)

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インタビュー前には、リハセンターひばり入居者に対する、二胡奏者・劉揚氏(左)による演奏会が行われ、入居者は二胡の調べに聴きいった

 昨年4月の熊本地震で大きな被害を受けた熊本県阿蘇郡南阿蘇村。加藤擁一副理事長と広川恵一顧問が、昨年12月25日、村内にある介護老人保健施設リハセンターひばりを訪れ、同施設の歯科衛生士である村本奈穂氏と、歯科医師の山口彩子先生(菊陽町・菊陽病院)、田村尚子先生(南阿蘇村・さくら歯科)に、震災後の村内の状況や課題等についてインタビューした。

アクセスが寸断され救急などに課題
 加藤 4月の熊本地震から、8カ月が過ぎました。本日は南阿蘇村の現状について、歯科に関わる皆さまからお話を伺いたいと思います。
 広川 8月6日に兵庫協会で行った日常診療経験交流会〈震災プレ企画〉で、山口先生と村本さんには、地震当時の状況や課題、当時の思い・取り組みについてお話いただきました。田村先生とお会いするのは初めてですね。地震直後から現在まで振り返られて、いかがでしょうか。
 田村 私は、この南阿蘇村で開業していますが、もともとこの村の出身ではありません。開院から10年、村民の方と少しずつ関係を築きながら診療してきました。今回の震災では電気も水道も止まり、医院の機械類も壊れてしまって修理を繰り返すことになり、本当に大変でしたが、震災をばねにして住民の方と密な関係を築けたという思いがあります。ただ、当院は再開できましたが、地震で地盤が危険だということで閉院された歯科医院もあり、深刻な状況です。
 阿蘇大橋と俵山トンネルが崩落し、村外へのアクセスが寸断されてしまったことが特に困りました。以前は、週に2〜3回、勉強会や買い物のため熊本市内に行っていたのが、できなくなりました。昨日やっとトンネルが開通し、少しずつ日常生活に戻っていけるのかなと感じています。
 加藤 大変な状況ですね...。山口先生はいかがでしょうか。
 山口 私はこの南阿蘇村に住んでいて、村の西側にある菊陽町の病院に勤務しています。道路の寸断により、迂回路は一度標高1000メートルまで上がり80メートルに下がるような高低差の大きいルートで、毎日の通勤に1時間半ほどかかり、非常に苦労しました。トンネルが開通して、20分は短縮され、本当に安心しています。
 この村で働いているわけではないので、これまで村内に医療・介護関係の知り合いはそれほど多くなかったのですが、地震をきっかけに知り合いが増えました。村本さんや他の看護師さんなどともつながりが広がり、いろいろな話を伺って、10年後、20年後の村の医療・介護を考えたとき、このままではいけないと感じています。たとえば、救急搬送は相当不便を強いられている状態だそうです。地域の中核病院だった阿蘇立野病院が地震で休院を余儀なくされており、天気のいい日は原則ドクターヘリを使いますが、悪天候の時や夜間は使えません。救急車で1時間以上かけて、阿蘇市や熊本市の病院まで搬送しなければいけないそうです。トンネル開通で搬送時間は多少短縮しますが、不安な状況は続くと思います。
 ですから、私は田村先生、村本さんをはじめとする村の医療・介護関係者に聞いたお話を発信していかなければならないと感じています。
日常的な医科・歯科連携の重要性を実感
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菊池郡・菊陽病院
歯科医師
山口彩子先生
【やまぐち さいこ】2004年九州大学歯学部卒業、福岡医療団千鳥橋病院附属歯科診療所研修、倉敷医療生協水島歯科診療所研修、現在は熊本にて芳和会菊陽病院歯科診療部長

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南阿蘇村・リハセンターひばり
歯科衛生士
 村本奈穂
【むらもと なほ】1982年熊本県阿蘇郡長陽村(現南阿蘇村)生まれ。2003年熊本歯科衛生士専門学院卒業。熊本県大津町役場健康福祉課・地域包括支援センター、福岡県・吉川歯科医院、熊本県伊東歯科口腔病院、南阿蘇村・あい歯科クリニック勤務を経て、16年4月より現職

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南阿蘇村・さくら歯科
院長 歯科医師
 田村尚子先生
【たむら なおこ】1962年熊本県阿蘇郡生まれ。九州歯科大学卒業。2007年南阿蘇村にさくら歯科開業、現在に至る

 加藤 村本さんはいかがですか。
 村本 まず、地震直後のお話からさせてください。私は4月1日からこの施設に入職しましたが、地震直後は、道路が寸断されてここに来ることができず、当施設の母体である阿蘇市の大阿蘇病院に行きました。大阿蘇病院には歯科衛生士はおらず、看護師・介護士の方々が、患者さんの排泄処理後、口腔ケアを必死でされていました。皆さん、消防団や地区の炊き出しなどをしながら、夜勤もされているという大変過酷な状況でした。「私は歯科衛生士なので、口腔ケアは残しておいてください」と伝え、一日中口腔ケアに駆け回りました。初めてお会いする方々ばかりで、普段ならできなかったと思いますが、被災者という連帯意識のようなものがあり、すごく勇気がわいたんです。
 このとき、看護師長さんが朝礼で言われた言葉が非常に印象に残っています。「DMATの人が来ている間、皆さんは少し休みましょう」「皆さんに感謝しています。きついときは手をあげて隠れて寝ていいです。あなたたちが大事」と、気遣った言葉をかけてくださいました。また、余震が毎日続くなかで、初対面のスタッフの方たちとも「明日も生きて仕事をしようね」とハグや握手をして帰るんです。ある種の連帯意識を形にして、互いを思いやる。これが本来の医療人のあり方、医療の原点なのではと感じました。
 加藤 阪神・淡路大震災の頃を思い出します。ただ、あの頃と比べると、熊本地震では被災者への口腔ケアをがんばっていただいて、誤嚥性肺炎は劇的に減ったのではないかと思います。阪神・淡路のときは、震災関連死の4分の1が肺炎でした。寒い季節ということもありましたが、災害時の口腔ケアの大切さが明らかになっていませんでした。
 村本 リハセンターひばりでは、被災の中、半分以下の職員しか来ることができないなかでも、入居者への口腔ケアにしっかり対応できたので、誤嚥性肺炎が出ませんでした。この点は達成感を持っています。
 地震とその後の経験を通じて、普段からの医科・歯科連携の大切さを痛感しました。歯科衛生士がもっと、その連携や介護・福祉の現場で役に立てるように、勉強しなければと気づかせていただきました。そのために、もっと身体全体を知り、他職種の仕事を知ること、顔の見える関係を築いていくことが大事だと思いました。たとえば、歯科衛生士は義歯の磨き方は分かりますが、脳梗塞で半身麻痺の方の義歯が清掃不良となっている場合のアプローチは、作業療法士の得意分野です。
 今は週に2回ほど、熊本市内まで勉強に行く時間を作っています。すると、この施設の仲間である、理学療法士や介護士の方も一緒に参加してくれるなど、少しずつ輪が広がっています。一緒に車に乗ってしゃべりながら、山を越えて勉強会に行くことでコミュニケーションがとれ、つながっていくことが地域の医療・介護連携ではないかなと思い始めています。
 広川 職種の間にしきりを設けず、つながりを広げているんですね。
 村本 はい。これまでつながりのなかった地域の歯科医師の先生方にも勇気を出して、「当施設で勉強会をします」とメールをお送りし、来ていただけました。そうして顔が見える関係を築けたことで、利用者さんにトラブルがあったときにかかりつけの歯科医師の先生に一本電話を入れることができるようになりました。
 こんなことも、地震がなかったら、勇気がなくてできなかったと思います。地震でつらかったけれど、地震をきっかけとした人の出会いを大切にして、皆で力をあわせてよりよい社会にしていくために、自分が心に明かりを灯すことで隣も灯していって、ちょっとずつ皆が明るい村になればいいと思っています。
 加藤 震災それ自体は大変不幸なことですが、そこで得られたものは貴重なものだったと、私の経験を思い返してもそう感じます。
歯ブラシを持って仮設住宅を訪問
 加藤 被災者の生活は今どうなっているのでしょう。昨日、熊本市内で本庄弘次先生(熊本協会常任理事、本庄内科病院院長)や板井八重子先生(熊本協会副会長、くすのきクリニック院長)、吉良直子先生(熊本市中央区役所・歯科医師)にお会いしました。病気にたとえれば、「急性期」は脱したが、「慢性期」の課題が山積しているとお聞きしました。県内の避難所も11月末で全て閉鎖されたそうですね。
 山口 私は精神病院に勤務する歯科医師ですので、患者さんの状況について直接は分かりませんが、震災後、アルコール依存症の方が悪化したり、状態が悪化して入院するという方がおられると聞きます。
 村内では、8〜9月頃から、避難所にいた方が仮設住宅に移りました。仮設でのくらし・健康状況などが課題になってきますが、村本さんは、そこで大活躍されているんです。
 村本 ありがたいことに、全国の皆さんが歯ブラシを絶え間なく送ってくださいます。その歯ブラシを持って、「全国から届いたものですよ」と仮設住宅を訪問しています。特に、一番被害のひどい長陽地区が私の出身地で、2年ほどその地域の歯科医院にいたので、治療のアシスタントをしていた患者さまが多く、リスク部位など口の中の状態が分かります。さらに、住んでいる方のほとんどが知り合いのおじいちゃん、おばあちゃんなんです。知った人が、全国からいただいた物資を持っていくと、元気が出るかなと思っています。
 それから、「歯科検診」というと、皆さん構えてしまいますが、口は食べて、笑い、しゃべるところです。ただ集まってしゃべってもらったらいいんじゃないかと思い、乳幼児健診の仕事をしていたときに知り合った助産師さんがフルートの演奏をされるので、フルートの演奏会と、全国からの歯ブラシを配るということで集まってもらいました。すると、皆さん3時間くらい話をされて帰られないんですね。そういうきっかけ作りに、歯科はまだまだ役に立てると感じています。
 入居者の方からはいろいろなお話を聞きます。高齢のご夫婦が多く、中には非常に深刻な悩みを持たれている方もおられます。じっくりと話を聞いて、電話番号を渡し「何かあれば連絡して」と伝えると、すごく元気になった方もいらっしゃいます。「自分を気にしてくれている」と思うだけで、少しは意味があるのかなと思っています。
 広川 歯ブラシ一本をきっかけに地域にかかわるのはすごいことですね。住民の方々が抱えている課題は震災が原因ということでしょうか。
 村本 長陽地区では大学が近いということで多くの方がアパート経営をされていましたが、多くのアパートは地震で壊れてしまいました。大学も撤退することになり、戻ってくるかも分かりません。まだ南阿蘇鉄道も止まっていて、通学が必要な子どもがいる若い世代は、熊本市内に引っ越してしまい、老夫婦だけが残されてしまいます。もともとの問題もあったと思いますが、一気に財産を失い、収入源も生きがいもなくなってしまったことが大きいと思います。
 加藤 神戸では、多くの仮設住宅で、孤独死を多数生んでしまいました。医療関係者は、住民の方々に接することができる仕事です。生活の場が仮設になり、あと何年かで復興住宅にと変わっていくと思いますが、村本さんがされているようなことが本当に大事だと思います。
 山口 震災直後と数カ月後、さらに半年後、1年後と段階を経て、また新たな問題が出てくるんでしょうね。支援は地震直後に集中しますが、道路が寸断したことで、高齢者施設や医療機関の職員が大量に離職してしまったり、人が入れ替わったりと、影響が段階的に出ていることを実感しています。熊本は大したことがないと思われていますが、「危険」と判定された建物の数は東日本大震災より多かったといわれ、生活再建の困難さが顕著に現れてきています。
 広川 倒壊した建物の瓦礫の処理もまだまだ進んでいなくて、見かけは何もないように見えても、傾いている、亀裂が入っているなど被害を受けている建物も多いと聞きました。
 村本 私の実家も、お風呂に穴が空いたり、壁のタイルが落ちたりしていますがそのままです。業者の方も忙しく、一部損壊の家では応急処置だけで暮らしている人が多いですが、じわじわと辛さがきていると感じます。
 加藤 一部損壊といっても、生活に不便が生じるような状況で、ほとんど補償がないことは問題ですね。
窓口負担免除ぜひ延長を
 加藤 患者さんの窓口負担の問題が気になります。免除がなくなることで、受診を中断する患者さんが出てきます。これについては、いかがでしょう。
 山口 窓口負担免除措置は10月末で一区切りとなり、11月以降は免除証明書が必要になりました。この期限は2月末までとなっています。当初5月末までとなっていたのが、10月末、2月末と少しずつ伸びています。
 加藤 運動で少しずつ延長させているんですね。
 田村 ぜひ、免除措置の延長をお願いしたいです。患者さんを見ていると、お仕事がない方が多いんです。寝る間も惜しんで、倒壊した家の取り壊しのアルバイトなどに行かれていますが、定職が見つからないという方がたくさんおられます。仕事の合間に歯の治療に来られ、「定職が決まったらきちんと治療を」と言われます。やはり治療時の窓口負担は重い負担となりますので、延長のため保険医協会にはがんばってほしいです。
 加藤 保団連も全国の方々と一緒に運動していきます。被災者は少なくとも仮設住宅を出るまでは免除にするなど、制度を改善すべきです。
普段の診療・連携から災害時に備える
 加藤 最後に、これからの抱負をお願いします。
 村本 超高齢社会になるということを、地震の経験を通じ、介護施設にいて痛感しています。今後、在宅で過ごす方が増えていくなかで、歯科衛生士としてどう役割を果たせるかだと思っています。
 大切なのが「フレイル(虚弱状態)」だと思います。栄養がとれないという状態に、社会的背景も重なり、患者さんの状態が悪くなっている。これをどこで止められるのか、地域で連携し、もっと人とつながっていき、もっと自分も研鑽を積み、一つずつ社会がよくなったらいいなと願います。
 山口 村本さんと全く同じ思いです。地震を通じ、いろいろなことに気づかされました。平常時にできていないことは災害時に発揮できないことを痛感し、自分の病院での安全管理や地域への関わりを考えました。また、一村民としても、村の医療・介護の整備が必要ということを、きちんと村に申し上げていきたいと思います。
 田村 今日、村本さんのお話をお伺いし、こんな情熱を持たれている歯科衛生士さんが村にいらっしゃることを誇りにしたいと思います。
 また、山口先生が仰っている災害時の備えの大切さを本当に感じています。地震後に診療を再開したとき、機械も壊れ、消毒と痛み止め等の薬を出すことくらいしかできない状態でしたが、「先生の顔を見れてよかった」と言ってくださる患者さんがたくさんいらっしゃいました。この経験を通じ、地域密着型の開業歯科医として、災害時に普段と同じように医療を提供することがどんな大切かを感じました。微力ながらも地域に貢献していきたいと思っています。
 加藤 医療機関があることが住民の励みになるということを私も体験しました。これからも大変だと思いますが、がんばっていただきたいと思います。
 広川 大きな災害では、さまざまな課題が浮かび上がると言われますが、本日のお話でもあらためて感じることができました。兵庫協会も先生方からお聞きしたことを、自分たちの活動に活かしていきたいと思います。本日は貴重なお話をありがとうございました。
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