兵庫県保険医協会

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兵庫保険医新聞

2017年11月15日(1862号) ピックアップニュース

東日本大震災 被災地訪問レポート
被災地の今の課題みつける

 協会は9月16日〜18日にかけて、被災地の宮城、岩手、福島各県を保団連と共に訪問。協会から広川恵一顧問、白岩一心理事、林功評議員が参加した。協会の被災地訪問は、現地の方々と交流して被災地の現状を知り、医療や生活の課題を明らかにすることを目的に継続している。白岩理事と林評議員の報告を掲載する。

被災地を通して見える課題改善の運動大きく
理事  白岩 一心
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仮設住宅集会所で、入居者の医療サポートを行う村上充氏(左2人目)、阿部泰幸氏(奥左端)と懇談

 被災地の方々と、今までに築かれた交流の新たなる発展と課題を見つけ出すという目的が、出発前から課せられていた。
 毎日懸命に地域で、歯科医師として、他職種の方々と連携して、医療・介護・福祉に従事していることを、被災地訪問で生かすことができるかどうか、自問自答しながら参加した。
 初日は八戸市に集合し、行程と目的意識を確認し、今までの経過と問題点を、広川先生が説明された。
 翌日、最初に訪問したのは岩手県田野畑村にある宝福寺。2015年9月19日にご逝去された、元開拓保健師・岩見ヒサさんの3回忌に、偲ぶ会が執り行われており、お参りをした。岩見さんは、かつて同村に持ち上がった原発招致計画の反対運動を先導された。多額の補償金にも揺れることなく、原発招致に反対を貫いた人生を村で全うされた。3年前の訪問時、直接お話をお聞きしたが、ヒサさんの一貫した生涯はやはりすごく偉大な功績だったんだと、思いを新たにした。
 その後、宮古市で水産加工会社・三陸海風を経営する山口隆志様から、今年の不漁の実情をお聞きした。漁業は、岩手県や宮城県でも、深刻な不振が今年の特徴であるという。
 次に、宮城県気仙沼市では、仮設住宅・水梨コミュニティー住宅集会所を訪問して、現状をお聞きした。横浜市から定期的に訪問して、入居者の健康を見守る、緩和ケア専門医の岩井亮先生ともお会いした。
 さらに、入居者の自立支援をサポートし、市役所等の公的相談場所との架け橋となっている、兵庫協会との交流も5年目を迎える村上充さんとお会いし、塩釜市や気仙沼市で活動する「ライフワークサポート響」代表の阿部泰幸さんと懇談した。
 阪神・淡路大震災後見落とされた、報道されない現実と似通った、詳細なお話には、今後の問題が山積みだった。医師不足など日本中に潜在している問題が、明らかに被災地では強く顕在化してきている。
 3日目は、福島県保険医協会理事長・松本純先生と事務局長・井桁さんが、福島県飯館村を案内してくださった。
 3日間を通して、被災地の真実がどんどん報道されなくなり、兵庫協会や保団連、被災3県の保険医協会が、今後も交流を深めつつ、記録を公開して、世界中に発信していかなければならないと感じた。絶対に他人ごとで済まない。
 そして、医療運動として、政府や自治体に請願していくことも必要不可欠である。これらの問題は、全国規模で潜在化し見落とされている問題である。今後も、必ずあらゆる場所で伝えていかなければならない。節目でのシンポジウム開催も必要と思う。特に松本先生には、機会があれば、兵庫協会に来ていただいて講演もお願いしたい。
 被災地物産展の定期開催も、今まで以上に効果的でかつ被災地との交流が身近となる。
 あと3年半で、東日本大震災は被災10年を迎える。全ての記録を書物にすることも、政府への直訴には有効と思う。被災者の苦しみを公開し、交流を発信するだけでは、上から目線で、人権を共有しているとはいえない。開業医の団体だからこそ、全国民に知っていただき、医療運動対策として、どんな政府であろうが、訴えていくことが可能となる。
 被災10年には、被災3県と保団連と兵庫協会が先導して、大きな事業を実現していくことで、後世に受け継いでいかれるものと強く信じてやまない。
 毎日地元で懸命に歯科医療に従事することが、被災地医療貢献につながり、根深い問題点を顕在化させて、医療運動に変えることができると信じている。
 さっそく、明日からと言わず、今日から輝ける医療従事者になりたい。被災地訪問に参加の機会があるならば、地元医療と両立させて、可能な限り参加したいと心に誓った。参加させていただける兵庫協会には、常に感謝の気持ちを持ち続けていることを、最後に申し伝えたい。
声なき声を届ける仕事
評議員  林   功
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福島県飯舘村に暮らし、花を植え続ける大久保金一さん(左5人目)。大久保さんが育てたバラを囲んで記念撮影

 宮城県気仙沼市にある仮設住宅・水梨コミュニティー住宅集会所で、高齢者の医療サポートをボランティアで震災以降続ける村上充さんとお会いし、同市の医療の現状を傾聴した。同市は医療圏が広く地域高齢者の受診控えが問題となっている。村上さんはこれらのいわゆるサイレントマイノリティに光をあて、無償で高齢者の診療の付き添い事業等を行っている。
 気仙沼には基幹病院が市民病院しかない。このため診療が必要な高齢者は、フリーアクセス権が行使できない状況にある。
 国は震災医療対策として補正予算を組み、第1次として、医療・介護・障害福祉の利用料負担・保険料軽減措置に1142億円、医療施設等の災害復旧に906億円、福祉医療機構による医療施設・社会福祉施設等に対する融資に100億円などを計上した。これらの政策はポピュレーションアプローチとしては間違っていないが、サイレントマイノリティには届かない。このギャップを埋めるのは、草の根運動である市民活動になる。
 震災発生当時、筆者が関西労災病院勤務時代に労働者福祉機構より災害派遣医療チームの一員として仙台市の若林地区に派遣され、避難所の公衆衛生管理を行ったことがあった。震災直後の避難所は一般市民により管理され、行政の力は届いていなかった。未曾有の震災においても、日本にはコンティンジェンシー・プラン(不測の事態に備えた計画)が用意されていない。震災の復興においては、その多くが市民の無償の行為によって支えられている。復興の主体は政策ではなく、人の絆である。村上さんの活動はそう訴えているようだった。
 その後、夕食を共にしながら、塩釜市や気仙沼市で活動する、「ライフワークサポート響」代表の阿部泰幸さんと懇談した。復興住宅における住民同士のいさかい、社会福祉協議会の内部問題など、実地に活動をしている者にしか知り得ない貴重な経験を教授いただいた。
 災害支援の本質は声なき者の声をいかに行政に届けるかにある。阿部さんはその一点に活動を絞っている。仮設住宅や復興住宅に山積している、行政が拾えない様々な陳情の一つひとつを丁寧に傾聴して、関連機関と協力して解決方法を模索している。
 横浜市から定期的に被災地の在宅訪問診療をしている岩井亮先生にもお会いした。現状の医療制度では例え善意であっても、被災地で医療行為を行うのは困難を要する。多くの批判にさらされても、孤立した高齢者に継続した支援を行う臨床医の姿勢と、それを陰に支える気仙沼の医師会の現状に感銘を受けた。
 翌日は、福島協会の松本純理事長と井桁事務局長に、福島県飯館村を案内していただいた。訪れたのは大久保金一さん(1940 年生まれの77歳)の自宅である。47年に飯舘村に家族とともに入植し、以来2011年まで母親とともに同地区で生活していた。福島第一原子力発電所事故発生後、年老いた母コトさんを連れて避難地区の自宅に戻ることになる。
 避難地区において、様々な方とのかかわりから大久保さんは「マキバノハナゾノ計画」を立てる。桜やバラの苗木を植えれば、何年か後には一面に山間に咲き乱れることだろう。そう大久保さんは考えた。大久保さん宅には海外の取材クルーや大学の研究機関がよく訪れる。汚染された土地に住み続ける姿に、訪れたものは何を投影しているのだろうか。
 奉仕とは、報酬を求めず、また他の見返りを要求するでもなく、無私の労働を行うことをいう。震災支援における人々の取り組みは奉仕の枠組みを超えた「助け合い」「お互い様」地域の共同体意識から発生している。キリスト教に端を発する「慈善」(charity)という考え方とは異なる。震災に対する東北の方の無常観、共同体意識から発する「助け合い」の精神、これらの清廉な思想を震災支援の現場からは学ぶことができる。派遣させていただいた保険医協会に感謝を申し上げたい。
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