兵庫県保険医協会

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兵庫保険医新聞

2019年1月25日(1899号) ピックアップニュース

阪神・淡路大震災から24年
相次ぐ自然災害 震災を教訓に

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今年で最後となる「早朝追悼のつどい」で献花する安田秋成被災者ネット代表(中央区・諏訪山公園)

 阪神・淡路大震災から24年を迎えた1月17日、県内各地で追悼行事が行われた。参加者は犠牲者を追悼するとともに、震災の教訓・課題を確認し、被災者一人ひとりに寄り添った生活復興を実現しようと誓った。神戸市勤労会館でメモリアル集会を開催した復興県民会議は、救援活動と住民の生活再建運動を進めることを目的として、1995年3月4日に協会を含めた被災地の労働組合など40超の団体と医師・弁護士などの専門家が参加して結成された。震災当時協会理事長を務めていた故合志至誠先生が長らく代表委員を務め、住宅・生活再建への公的助成の拡充を求める運動などで、中心的な役割を担ってきた。

 メモリアル集会では、主催した復興県民会議の岩田伸彦事務局長が、震災から24年が経った今でも借り上げ復興住宅からの追い出しと裁判、災害援護資金免除問題、被災者生活再建支援法の拡充等さまざまな課題が残っていると基調報告した。
 シンポジウムでは昨年の西日本豪雨の各被災地と2015年の鬼怒川氾濫の被災地から話題提供が行われ、復興の様子が報告された。会場から加藤擁一副理事長が、避難所等などではストレスや不眠などの影響で高血圧や口腔内状態の悪化など、健康面での問題が出てくるので、被災者の医療費窓口負担の減免が重要であると発言するなど、活発な意見交換が行われた。
早朝追悼24年で幕
 震災発生時刻に合わせて諏訪山公園で開かれていた「早朝追悼のつどい」は、震災24年目を迎えた今回で最後を迎えた。被災者や遺族の高齢化によるもので、被災者支援をこれまで行ってきた被災者ネットの安田秋成代表は、「早朝のつどいは今年で最後となるが、6千数百人の尊い命が失われたことは絶対に忘れてはなりません」とあいさつ。会場に設けられた祭壇に献花した。
 つどいを開催してきたNPO法人アースの石原顕正住職による読経の中、200人ほどの参加者が順番に「神戸・希望の鐘」を突いて、亡くなった方々の冥福を祈った。
談話
伝えよう「被災者の住まいは健康の基盤」
理事長  西山 裕康
1899_07.jpg  兵庫には縁遠いと思っていた地震、阪神・淡路大震災から24年が経った。穏やかな日常のなかで、変わらない暮らしを送っていた普通の人々が、突然理不尽な不幸に飲み込まれた。家族、住まい、仕事、生活用品、思い出の品さえも奪われ、人生が大きく変わってしまった。悲しみがすべて癒えることはない。
 被災の現実が「他人事」である人々や世代も増えている。当事者には「忘れられないが、思い出したくない」記憶もあるだろう。それらの人々の話に耳を傾け、受けとめ、共感し、想像力を働かせ「自分のこと」としよう。
 被災の程度にも差があり、時間が経つにつれ、防災・減災意識も風化していく。「伝える」ことは、被災者の心に寄り添うだけでなく、明日からの自分自身や家族を守るためでもある。
 災害後の課題も忘れてはならない。直後の救助・救命・避難、ライフラインの確保に始まり、避難所生活、災害関連死・孤独死、仮設住宅・復興住宅問題など山積である。阪神・淡路大震災の教訓により、その後の災害には役立っているが、20年以上が経った今も課題が残されている。神戸市・西宮市での、「借り上げ復興住宅」からの立ち退き裁判である。
 高齢者の「住まい」の転居は、日々過ごす室内環境、買い物や外出など日常風景、友人や近所付き合いといったコミュニティーの変化が、その後の生活に大きな影響を及ぼす。特に医療・介護環境の変化は、心身へのマイナスが多い。
 これらは被災者に限ったことではない。私たちが日々診療する高齢患者さんに置き換えてみれば想像に難くない。「住まい」は健康と暮らしの基盤である。
 昨年は、兵庫県だけでなく、日本中でさまざまな災害が相次いだ。私たちは地域医療を支え、住民の命と健康を守る団体として、日本全国の被災地・被災者へ寄り添い、粘り強く活動を継続していきたい。

阪神・淡路大震災24年メモリアル特集
全国の被災者と連帯し運動広げよう

 阪神・淡路大震災24年にあたり、各地で行われたメモリアル企画の模様を紹介する。
〈メモリアル集会〉
被災住民に寄り添った復興を
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各地の水害からの復興の現状をパネリストが報告し(上)、会場からは加藤副理事長が被災地での医療について発言した(下)

 神戸市勤労会館で行われた「阪神・淡路大震災24年メモリアル集会」には、約200人が参加した。兵庫協会から加藤擁一副理事長、保団連からは住江憲勇会長が出席した。主催は阪神・淡路大震災救援・復興県民会議(復興県民会議、故合志至誠兵庫協会名誉理事長が代表委員)。
 住江会長は全国災対連(災害被害者支援と災害対策改善を求める全国連絡会)代表世話人として来賓あいさつ。「震災から24年が経つが、借り上げ復興住宅からの追い出しや孤独死など、さまざまな課題が残っている。その中でも兵庫県の被災者・支援者の不屈な運動が公的支援ゼロの状況を打破してくれたおかげで、被災者者生活再建支援法成立につながった。十分な額ではないが、成立した1998年から2018年11月末までに支給された件数は27万705世帯、支給金額は4616億円強にもなっており、全国の被災者の生活再建に役立っている」と感謝の言葉を述べるとともに、被災者生活再建支援法の見直しを求める署名への協力を訴えた。
 復興県民会議の岩田伸彦事務局長は活動報告とともに、長年運動を共にしてきた故合志至誠先生について「合志先生は政府に働きかけ医療費窓口負担や保険料減免を実現するとともに、公的支援を求める住民の声を集める『住民投票運動』を進め、1998年の『被災者生活再建支援法』の成立につなげた。また、2001年には、震災被災者に仮設住宅生活を強いる施策を『国連社会権規約違反』と告発し、ジュネーブの国連欧州本部で阪神・淡路大震災代表団団長として意見陳述を行うなど、日本国内のみならず世界にも情報を発信され、被災者支援にご尽力された。改めて先生のご功績を紹介させていただくとともに、ご冥福をお祈りしたい」とし、参加者全員で黙とうをささげた。
 ひょうご震災復興借り上げ住宅協議会運営委員の段野太一氏は、阪神・淡路大震災「被災地報告」として「『借り上げ住宅問題』をめぐる現状について『変化』と自治体間格差の広がり」をテーマに報告した。被災者が同じ条件で入居してきた借り上げ復興住宅で、宝塚市と伊丹市の入居者は無条件で継続入居、兵庫県では「判定委員会」を設置し、継続入居を希望する被災者にはほとんど継続入居を認めている一方で、神戸市は自治体が一方的に設定した基準を満たさなければ継続入居を認めず、被災者を相手取って訴訟を起こしたことを批判した。被災者を自治体が提訴するという愚かしさを自治体が自覚し、撤回するよう求め、引き続き全力で闘うとした。
多発する自然災害についてシンポジウムを開催
 「多発する自然災害にどう立ち向かうか」と題するシンポジウムでは昨年の西日本豪雨災害で多くの被害を受けた岡山県真備町、広島県呉市、愛媛県宇和島市と、2015年9月に起こった鬼怒川の氾濫により大きな被害となった茨城県常総市から被災者や支援者が参加し、話題提供を行った。各地の被害の実態が報告され、危険と指摘されていた箇所での対策の遅れや、行政の支援不足を批判し、被害はまだ残っているとした。
 参加者は希望するすべての入居者に借り上げ復興住宅継続入居を認めること、被災者生活再建支援法を見直し支給額を現在の最高300万円から500万円へ引き上げるとともに、被害の規模に関わらず、全国すべての被災地への適用を求めるアピールを採択した。
〈早朝追悼のつどい・市民追悼のつどい〉
希望の鐘を突き犠牲者を追悼
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琵琶の演奏や 声明 しょうみょうで犠牲者を法要

 神戸市内を一望できる中央区の諏訪山ビーナスブリッジで、早朝に行われた追悼式には約200人が集まった。
 地震が発生した5時46分、参加者は阪神・淡路大震災の犠牲者6434人と仮設住宅や復興住宅で孤独死した犠牲者に対し、黙とうをささげ、震災被災者の生活復興を願ってつくられた「神戸・希望の鐘」を突いた。主催は阪神・淡路大震災被災者ネットワークなどでつくる実行委員会。
 同実行委員長の安田秋成氏は「この『天国に一番近い場所』での早朝の集いは、震災翌年の1996年から始まった。参加者も高齢化する中、ここまで来れない方も増えたため今回で中止を決めたが、24年間の『早朝追悼のつどい』を心にとどめてほしい。犠牲になった方々の尊い命を忘れてはならない」とあいさつした。
 同日午前には、同実行委員会による「手作り市民追悼のつどい」が神戸市勤労会館で行われた。参加者は琵琶による音楽法要と声明(しょうみょう)で、犠牲者を追悼した。
 安田氏は「この手作り追悼式は簡素でも心のこもったものをと続けてきたものだ。どんなにつらい災害でもしっかりと国・自治体が住民を守る、あたたかく支えてくれる社会をつくるまで、追悼を続けていこう」と語った。
〈長田ウォーク〉
住民の力でにぎわい取り戻そう
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地元商店の方から震災当時の様子を聞く参加者

 17日午前には、協会神戸支部も参加する震災復興長田の会の主催で「メモリアルのつどい ひと・まち・くらし長田ウォーク」が、長田区内で行われ、80人超が参加した。
 参加者は、震災時には避難所であった旧二葉小学校を出発し、新長田駅南の再開発地域や商店街を歩き、住民や商店主から話を聞いた。再開発でできた巨大なショッピングモールは、空き店舗が目立つ。
 火災があった地域の近くにある丸五市場は、震災当日は定休日だったため、火災を逃れた。市場内で鶏肉店を営む商店主は「もし定休日じゃなかったら、皆が火を使っている時間で、市場は残らなかっただろう」と振り返り、今は昔ながらの市場の雰囲気を生かしながら、「アジア系の店を集めて、毎月イベントを開き、たくさんの人を集めている」と、上からの巨大再開発ではなく、地元商店主たちのアイディアでにぎやかな街を作ろうとしていることを語った。
 ウォーク終了後には、被災地との交流として、昨年7月の西日本豪雨で大きな被害を受けた岡山県倉敷市真備町の須増伸子岡山県会議員が報告。いまだに1万人近い人々が仮設住宅等で避難していること、洪水被害は堤防工事や河川整備の不備により起こっており、国や県に再発防止のため対策を求めていることなどを語った。
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