兵庫県保険医協会

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兵庫保険医新聞

2019年9月05日(1919号) ピックアップニュース

日常診 震災企画
原発事故後の学校給食、郷土食
福島県の栄養教諭が講演

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栄養教諭・管理栄養士の籏野氏が「までぇな食づくり」を紹介した

 協会は8月3日、第28回日常診療経験交流会(10月27日)のプレ企画として、「子どもの食の現場/飯舘村の食とくらし-原発災害の中で-」を県農業会館で開催(薬科部共催)。福島県で栄養教諭・管理栄養士をしている籏野梨恵子氏が、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故により混乱を極めた福島の学校給食の現場や、困難な状況下での食育の取り組み、福島県飯舘村の郷土食の魅力などを語った。医師、歯科医師、薬剤師など121人が参加した。

 籏野氏は、福島県内の小・中学校で取り組んできた地産地消による食育活動が、原発事故で「木っ端みじんに砕かれた」との思いを吐露。児童の保護者から「給食に福島の食品は使わないで」と言われ続け、自身も不安や虚無感にとらわれながらも、食品の安全を厳重に確認し、保護者らに安心を得てもらうことに努めてきたことを紹介した。
 籏野氏は、全ての給食材料の成分・栄養価・産地を審査し、放射性物質の測定の上、保護者と一緒に現物を見ながら試食会をしてきたことを説明。自主避難後に子どもの入学に合わせて福島へ帰ってきた保護者から、「誰にどう聞いていいか分からないのでとても不安だった。今日、給食の食品の産地や検査のことが分かって安心した」と言われたことなどを振り返った。
 また籏野氏は、原発事故のため伊達市の仮設住宅で暮らしていた飯舘村(震災後、計画的避難区域となり全村避難。2017年に一部を除き避難指示が解除)の住民から聞き取った、「までぇ」(左右揃えた手を意味する方言=「丁寧に、手間をかけ、心を込め、相手を思いやる」の意)な郷土食についても説明。かつての飯舘村での暮らしや、綿々と培われてきた食を通しての家族の愛情など、人間の大切なありようを全部まるごと含め「までぇな食づくり」だと紹介した。
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