兵庫県保険医協会

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兵庫保険医新聞

2019年12月15日(1929号) ピックアップニュース

主張 政府の患者窓口負担増計画
医療において国民の分断を招く政策は止めるべき

 財政制度分科会は「秋の建議」をまとめ、「世代間の公平性を確保する」ために75歳以上の窓口負担を引き上げるとしている。
 そもそも「患者が受診時に医療機関へ直接支払う医療費の一部」は、「一部負担」「自己負担」「窓口負担」「患者負担」などと言われるが、濃淡の差はあれ「疾病=自己責任」「患者=受益者感覚」「医療費=コスト意識」という考えを刷り込もうとする意図が見え隠れする。その上に、「負担の公平」や「負担と給付のバランス」を持ち出し、「医療費をたくさん使う人は、他人に迷惑をかけている。より多く負担すべきだ」という患者同士の「分断」を促すものだ。
 日本の医療費の一部負担は、年齢、所得に応じて細かく設定されているが、実は、大した理念も哲学もなく、その時々の政権が「自助」や「自己責任」を強調し決定する。平成24年度厚労白書では「一部負担(自己負担)が課されている理由」として、「一部負担がなければ、患者側は『過剰受診』してしまう。医療サービス提供者側は『過剰診療』をしてしまう」「過剰診療が問題となり、保険財政も厳しい状態になった」とし、それを「回避するために工夫」されたのが「一部負担」なのである。
 つまり導入当初から「一部負担」は、ただひたすら「受診抑制」と「医療費削減」が目的なのである。
 このように一部負担を安易に決定し長く続けてきたため、その増加による受診抑制という悪影響が軽視されてきた。受診抑制によって具体的に手遅れになった人の存在は当然許されないが、問題は本来社会保障としてあってはならない「経済的弱者の排除」を伴う制度そのものなのである。
 世界的にみて日本の窓口一部負担は高い。他国には、医療費増加分を「患者」に「応能」あるいは「応益」で負担させ、経済的弱者の受診抑制を黙認する考えなどないのである。
 「国民皆保険制度は、日本社会の統合を維持するための最後の砦(二木立)」であり、複雑な自己負担制度による目先の金額で国民が分断されてはならない。かかった医療費や年齢階級別あるいは医療保険制度別に自己負担を変え、損得勘定として比較するのは止めるべきである。
 医療は「公共財」と言える。道路や公園、外交、警察、消防などと同じく「多くの人々が同時に不自由なく利用する」ことができ、「対価を支払わないでも、財・サービスの利用ができる」という「非排除性」を有している。
 国民の健康と命を守る医療制度は、国民すべてを包摂し、一人たりとも排除してはならない。協会は、来年より「必ずストップ!患者負担増」署名をスタートする。一部負担の意味をご理解いただき、患者さんに署名への協力を呼びかけていただくようお願いする。
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