兵庫県保険医協会

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兵庫保険医新聞

2021年3月25日(1969号) ピックアップニュース

第38回在宅医療研究会講演録
灘区・ホームホスピス関本クリニック院長 関本 剛先生講演
緩和ケア医の"終活"~看取る側と看取られる側から~

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灘区・ホームホスピス関本クリニック院長
関本 剛先生
【せきもと ごう】 2001年に関西医科大学を卒業し、医師免許取得。その後関西医科大学付属病院で消化器内科医として勤務、六甲病院緩和ケア病棟の緩和ケア医として勤務の後、2015年より「地域緩和ケア医」として関本クリニックでの訪問診療や拠点病院での回診業務に従事し、地域での病診連携・診診連携の円滑化に取り組んでいる。2019年10月にStageⅣの肺癌と診断され、現在抗がん治療を受けながら緩和ケア医としての業務を継続している。

 協会は1月14日、ホームホスピス関本クリニック(灘区)の関本剛先生を講師に、第38回在宅医療研究会「地域での緩和ケア~緩和ケア医の終活とアドバンスケアプランニング」を開催した。2019年10月にStageⅣの肺癌と診断され、余命2年の宣告を受けた以降も抗がん治療を受けながら、「地域緩和ケア医」として診療を継続している関本先生の講演録を掲載する。

 余命2年であることを伝えられてから折り返し地点を過ぎました。どんなふうに考えて、どんな1年を過ごしてきたか、中間報告として、私が取り組んでいる「本気の終活」についてお話します。

消化器内科から緩和ケアへ

 私は母の関本雅子が六甲病院で立ち上げた緩和ケア病棟を、高校3年生の時に見学し、大学に入った時から緩和ケアをやってみたいと思っていました。ただ、医師になった2001年当時は標榜科に「緩和ケア内科」はなく、外科、内科等の専門的なバックグラウンドをもって緩和ケアをされているドクターばかりでした。
 麻酔科医の母から、全身状態の管理をしっかりできるような、治療に直結するような診療科で研鑽を積んだほうがいいとアドバイスを受け、関西医大の研修で、がんが一番多く、当たり前のように看取りがあった消化器内科を選びました。
 専門医の資格を取得するまでに大学院を含めて11年ぐらい大学病院で修業し、ラスト2年ほどは希望していた化学療法センターの配属となりました。食道から大腸まで、肝・胆・膵も含めて消化器がんの抗がん化学療法を重点的に行う仕事に就いた経験は、今でも活きており、宝になっています。
 母が地域の在宅看取りをサポートするため2001年に関本クリニックを立ち上げた際、「私が開業したら、あんた看取りとかやる気あるの」と聞かれ、緩和ケア医への気持ちが変わってなかったので「やる」と答えました。

目を疑ったCT画像

 私はもともと小児喘息持ちでしたが、その年は咳がちょっとひどいなというぐらいで、別に脳神経症状もありませんでした。しかし、六甲病院消化器内科での胃カメラのアルバイト後にドックがわりに撮影したCT画像を見ると、左の上葉に4㎝、一部無気肺もあり、リンパ節も腫れてそうで、素人目に見ても悪い。「手術もできないかも」と感じました。まさに頭が真っ白で、「これ、私のCTですか?」と、左上に書いてある日付と自分の名前をまじまじと見つめたのを覚えています。
 画像データをもらい、翌日にがん拠点病院へ行きました。翌月曜に気管支鏡と脳のMRI検査をし、妻と一緒に結果を見ましたが、この時点で、小脳に最大で2㎝、大脳にもパラパラと転移があり、一番ショックだったのが脳幹部分にある7㎜ぐらいの転移でした。肺がんの脳転移は2,3カ月で亡くなることも珍しくないという認識でしたので、妻と2人、診察室で泣き崩れました。
 そこから遺伝子検査などを行い、先に脳に放射線治療をするのか、遺伝子変異の状況によっては脳転移まで効く分子標的治療薬を先行するのかなどを、しっかり調べていただきました。私の場合、遺伝子変異はあったのですが、マイナーミューテーションというタイプで、分子標的治療薬が脳の転移巣まで効くかどうか不明だったので、放射線治療先行で神戸市立医療センター中央市民病院にお世話になりました。がんがデリケートな場所にあるので、侵襲の少ないサイバーナイフがいいだろうということになり、10月21日から1週間入院して放射線治療を行い、さらに退院して1週間後から再入院して抗がん治療の導入となりました。

家族、同僚、友人の存在

 がん発覚後、何よりも家族、職場の同僚が私を支えてくれました。母に限らず、まわりの看護師さんや事務員さんたちが、私が「1週間、治療で抜けます」と言った時に、「何も考えずに行ってこい」という言葉をかけてくれるのは、すごくありがたいことでした。
 入院中も、たくさんの友人たちがお見舞いにかけつけてくれました。抗がん剤の副作用で下痢が強い、体がだるいという時でも、ちょっと無理してでも友人と話をしているとアドレナリンが出て、高笑いすると調子が良くなり、大変助けられました。遊びでも仕事でも、とにかくやりたいことをやって、いつが「その時」なのかは分からないけれど、「死ぬまで生き抜こう!」と思うことができました。

救われた先人の言葉

 もうひとつ、先人たちの言葉の数々が私を救ってくれました。
 柏木哲夫医師は緩和ケア分野でとても有名ですが、「人は生きてきたように死んでいく」と言われました。怒り倒した人は、最期の最期まで医療従事者などまわりの人に怒り倒して死んでいく。しかし、そんな人であっても人生を振り返って、感謝の気持ちを思い出したら死に際でリセットすることがある、というメッセージが裏にあります。
 関牧翁は臨済宗の高名なお坊さんで、「良く生きることは良く死ぬことなり」という名言を残されています。
 平澤興先生は脳神経解剖学の権威ですが、「極楽は 遠き彼方と 聞きしかど 我が極楽は この身このまま」という和歌を残されています。今を一生懸命に生きるということだと思います。
 アルフォンス・デーケンはいろんな名言を残されている宗教学者で、司祭でもあります。「人間の死を意味する〝シュテルベン〟は、言葉を持つ人間だけに与えられた〝死〟を意味する言葉である。言葉をもたない犬や猫などの動物、他の動物が命を終わる時は〝フェアエンデン〟という別の言葉がある。なぜならば人間は死ぬその時まで成長し続けられるからだ」との言葉を残されています。
 また、「今日が雨だとしたら、なんで晴れないのかと嘆いても仕方がないでしょう」とも言われています。自分ではコントロールできないことを心配しても仕方がない。それと同じように、どうしてもコントロールできないことが自分の体に起こったとしても、あまり嘆いても仕方がない、ということです。
 先人たちのありがたい言葉を、それまでは「なるほどな」という感じで聞いていたのですが、今の自分にあてはめると、よりしっくりきて心に響き、勇気づけられました。
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『がんになった緩和ケア医が語る「残り2年」の生き方、考え方』(宝島社)

生きた証を残す

 アメリカで、HIV患者の看取り施設で実際に使われているディグニティセラピーと言われる治療法があります。特別な薬を使うわけではなく、その人の作品を残してもらう。そうすることによって、自分が一人ぼっちではない、自分の生きた証を後世に残し、生きる意味や目的を保つ効果があると言われています。
 数多くの患者さんを看取るお手伝いをしてきて、これからは「看取られる側」にもなります。患者の立場になり、「ああ、よかった。私がやっていることは自分の身にふりかかっても間違いじゃなかった」ということや、逆に「やっぱりこんなふうに思うんや。これはちょっと考えていたことと違ったな」ということもありました。
 その経験を社会に還元して家族にも自分が生きた証を残すとともに、自分の40数年を振り返る「ライフレビュー」にしたいという思いもあり、『がんになった緩和ケア医が語る「残り2年」の生き方、考え方』(右上書籍)を2020年8月に出版しました。「誰でも面白い一冊の本が書ける。それが自分の一生だ」とサムセット・モームは言いましたが、今がその時だと思いました。

生き抜くための化学療法

 出版後、遠方の友人や知人、元同僚などから多くの激励の言葉や手紙をもらい、生きる勇気になって本当にうれしかったです。ただ、その10倍ぐらい来たのが民間療法や代替療法にかかわるもので、「私はこれが良かったから先生もどうぞ」みたいなことが書かれていました。中には思いの丈が収まらなくて突然、訪問や電話してこられる人もいました。
 そういう方のほとんどが、真剣に善意と信じてやっています。しかし、がんになり転移もある、手術もできない、余命2年と言われた状況で、「これを使ったら10年も20年も生きられるよ」というものが大量に送られてきますので、知識のない、暗中模索している人は思わず手を出してしまうかもしれないし、実際に手を出してしまった方も大勢おられます。自分の身になってそういう話を聞き、その場では否定はしませんが医療従事者として問題があると、つくづく実感しました。
 ですから、がん患者さんを診る身として、私は一切、民間療法や代替療法を用いず、標準治療のみでどこまでいけるのか見せ続けたいと思っています。
 民間療法・代替療法はただの「藁」でしかありません。どんな藁をつかんでも溺れている人は沈んでしまいますし、どちらかと言うと、「あなた溺れていますよ」と藁を渡している感じがします。
 そもそも、がん患者は「溺れる者」ではありません。人は人生の最期まで泳ぎ抜く力を持っており、できるだけ泳ぎきれるように手伝うのが、保険適用になっている化学療法であり緩和ケアだと思います。

平静、勇気、知恵

 ただ、泳ぎ抜くことはとても難しいことで、がんを抱えながら生き抜いていくことは、すごく大変で勇気や気力がいることです。
 「神よ、私に、変えられないことはそのまま受け入れる平静さと、変えられることはすぐにそれを行う勇気と、そしてそれらを見分けるための知恵を、どうぞ、お与えください」というアメリカの神学者の有名な言葉があります。なかなか難しいことですが、これから先の私のテーマになることだと思いつつ、今を生きています。
 去年10月、業者さんの力を借りて自分の葬式の別れの挨拶を撮りました。妻に喪主挨拶をさせることは申し訳ないので、自分の葬式は自分で段取りしたいと思っていたのです。これは私にとって最悪に備えることです。ただ、こんな最悪に備えることばかり考えていたら生きていけないので、私の場合、月に1回程度考えています。
 最善に期待しすぎず、最悪に備えすぎないバランスが重要で、普段は敏感になりすぎない「鈍感力」を鍛えてハッピーに生きていきたい。

動ける今、ACPを

 私は、いずれ動けなくなるはずです。それが脳転移のせいでなくても、がんの方はラスト1カ月で、ほとんどの場合にADLが大きく落ちていくとのデータがあります。その時のことを今から事前に(アドバンス)考えるのが、アドバンスケアプラン(Advance Care Planning;ACP)です。
 動ける時にこそ「今やりたいことはなんですか」みたいな話をすべきでしょう。亡くなる30日前からできないことがどんどん増えてくる時に、「今、何をしたいか」と聞かれても何もできません。しっかり動けるうちから、こうしたい、ああしたい、もし動けなくなったら、こうしたい、ああしたいみたいなことを聞いておくことは、すごく良いと思います。
 私は動けなくなっても意識がはっきりしてれば、録りためた海外ドラマや映画を一日中観たり、家族と一緒に過ごす時間を楽しんだり、大切な人に直接感謝を伝えたいと考えています。また、寝たきりの状況での延命よりも、こうやって普通に動ける時間の延長こそ望んでいます。
 動けなくなり意識もはっきりしていなければ、基本的に私自身は延命してほしくないですが、そのときは私は曖昧な世界にいると思いますので、症状緩和が達成されていることを条件に、あとは主治医と家族で決めてもらったらいいと思っています。

リビングウィルは「なぜか」が大切

 意識が朦朧としている、回復の見込みがない時に、こういうふうに治療してくださいなどと書くのが「私のリビングウィル」(図)です。日本には、リビングウィルを書いていたからといって医療従事者が守らなければいけないという法律はありませんが、家族と相談する場面で使われることが多くなっています。
 リビングウィルは、自分一人または自分と医療者だけで決めていても、結局自分の思い通りにはならないことがままあります。有名なものとして、「カルフォルニアから来た娘症候群」という1990年代にアメリカで論文化されている話があります。
 日本で言えば、東京から来た娘が急に「そんな話は聞いていない。もっと上の医者を出してこい。こんな治療は変更しろ」ということを急に言われる。今まで主治医と本人との間で何度も話し合って決めたことが、「わや」になることがあります。自分と医療従事者だけで決めていても、娘さんは聞いておらず、お父さんのことを大事に思う結果、みんなが不幸になってしまいます。
 日本の文化で以心伝心という言葉があり、「妻は分かってくれている」と思い込んでいても、奥さんから話を聞くと「全然、分かってもらえてないよ」という場合がよくあります。面と向かって、しっかりと言っておくことがすごく大事と言えます。
 また、リビングウィルには、自分らしい最期を迎えるためにと、1~6までいろいろ書いていますが、その中間のようなことが世の中ではいっぱい起こります。例えば「点滴はいらない」と選んでも、「本当に今、選ぶ時なのか」と悩ましいことがいっぱいあります。その時のために、リビングウィルの自由記載欄に「なぜか」を書くことがすごく大事です。
 「延命措置はいりません」としているけど、今の状態が本当に選ぶ時なのかを決める際、自由記載欄に「なぜそう思うのか」が書いてあると、家族がより本人の意思を伝えやすい。そのことで医療従事者は今、点滴するかどうかを判断しやすくなります。
 良い例として、沖縄のおじい、おばあは本土の人よりも延命措置をしてほしいという人が多い時期がありました。なぜなのかとアンケート調査したら、戦争の時に若くして同胞を亡くしたので、亡くなった人たちのためにも、延命措置で自分はどれだけ苦しくても生き抜きたいという方が多くおられたという話がありました。
 「それはなぜか」が分かると、周囲の人の対応が変わってきます。同じ90歳の人が急変しても、自由記載欄になぜかが書いてあれば、家族も救急救命士も、延命措置をすべきか否かの判断をつけやすくなります。
 最近はがん治療がギリギリまで行われるようになったので、「ホスピストライアングル」という形で治療病院・入院型ホスピスケア・在宅ホスピスケアを行き来する方が多く、私はそれをスムーズにできるようにする仕事をしていますが、そこでもYES/NOの意思決定だけでなく、その過程がすごく大事だと思っています。

図 リビングウィルの一例
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講演後インタビュー

 講演後、座長を務めた協会理事・地域医療対策部長の綿谷茂樹先生(尼崎市・わたや整形外科)が関本先生に話を伺った。

コロナ禍での在宅診療

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コロナ禍での在宅診療について、綿谷地域医療対策部長(右)がお話を伺った

 綿谷 今はコロナ禍で日常診療にも気をつかいます。先生のクリニックではいかがですか。
 関本 がん患者さんはどうしても咳き込みますし、具合が悪くなってくると咳が出るし熱が出ます。新型コロナによる熱かどうかわかりませんし、終末期の患者さんの場合、熱があるからといって診察しないわけにはいきません。訪問診療では、チタン製のフェイスシールドとマスク、使い捨てのグローブをしています。あまり神経質になると十分な診察ができなくなるので、最低限、濃厚接触者とならないような対策をしています。
 綿谷 病院との連携に支障は出ていませんか。
 関本 最近は病院も病床逼迫のため、がん患者さんがコロナに感染しても受け入れてくれなくなる可能性が今後出てきます。「自宅で看取るシミュレーションをしておかないといけないね」という話をみんなでしています。ただ、発熱していても入院前にPCR検査をした上でしっかりと受けてくれる病院が神戸市にはあり、調子が良くなればすぐ帰してくれるので助かっています。
 綿谷 患者さんがホスピスを希望される場合、紹介先はどちらですか。
 関本 東灘区の甲南医療センターと私が勤めていた灘区の六甲病院で、患者さんが希望する方を紹介します。最近はコロナ禍で対面での会議ができないため、六甲病院とはZoomで毎週会議をさせてもらっています。

救急時の対応

 綿谷 紹介元のがん拠点病院はどこが中心ですか。
 関本 神戸大学医学部附属病院と神戸市立医療センター中央市民病院、神鋼記念病院からの紹介が多いです。紹介してくれた患者さんが「病院がいい」と言った時は受けてくれるなど、すごく助かっています。
 綿谷 何かあった時に在宅ではできないことがありますから、ありがたいですね。
 関本 がん患者さんとの最初の面談では、救急時の対応と共に、私と母と看護師さんたち(計5人)の電話番号を伝え、「とにかく誰かにはつながるから、救急車を呼ぶ前に電話してください」と言います。私たちが行って解決できることであれば、救急車を呼ばずにすむこともあります。
 綿谷 私もがん患者さんを訪問診療していますが、いつの間にか救急車を呼んで入院しているということがあります。
 関本 当医院でも、割合で言えば訪問しているがん患者さん100人のうち2,3人ぐらいですが、おられます。ただ、患者さんが救急車を呼ぶのをこちらが妨げてはいけないでしょうね。私たちは「病院に行かれてもいいですが、家でできることはこんなことがあります。管を入れずに楽になる薬も調整します。それでよかったら私たちが家に行きますよ」という話をして、その時の気持ちを家族がいる時に語っていただきます。病院を希望したけれど長時間待たされたりしんどい思いをして「やっぱり家がいい」と言われる患者さんも多くおられます。救急車を呼んだ後は、そういう話をする機会なのかもしれません。

患者に勇気をもらう

 綿谷 たくさんのがん患者さんを毎日診察されて、お疲れになりませんか。
 関本 病気になってからは、患者さん全員に「私もがん患者です」と伝えています。そうすると「先生、お茶飲んでいき」「このハチミツあげるわ」など、ポジティブな反応の方が圧倒的に多く、気分がまぎれることがあります。病気前のガリガリ働いていた時よりも訪問数は間引いてもらっていますが、患者さんからはたくさんの勇気をもらえます。
 綿谷 医師にも、在宅医療に向く向かないがあるのでしょうね。
 関本 そうですね。オン・オフがしっかりしている方ほど、しんどくなるようです。趣味の延長じゃないですけど、友達の家に行くような感覚で訪問できる人の方が向いていると思います。できるだけグレーな感じというか、遊んでいるように仕事をして、友人の家に行くような感じでしています。たとえば、「先生これどうぞ」と食べ物を出されたら、普通いったんは「いや、お気遣いなく」とか言いますよね。ところが母はすぐに「おいしそう、ありがとう」ってパクパクと。あのあたりの感覚は教えられますね。
 綿谷 患者さんから力をもらえることも多いですよね。本日は貴重なお話、ありがとうございました。先生は4月1日も講演会をお引き受けくださいましたので、今後ともよろしくお願いいたします。

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