兵庫県保険医協会

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兵庫保険医新聞

2022年8月05日(2013号) ピックアップニュース

鼎談 生活者の立場に立った医療を─看護学生への講義を通じて

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足立了平(あだち りょうへい)
1978年大阪歯科大学卒。神戸市立中央市民病院、神戸市立西市民病院等を経て神戸常盤大学教授。兵庫県保険医協会副理事長・新聞部長

 兵庫協会は2018年度以降、佛教大学・保健医療技術学部看護科に講師を派遣している。同大学で「保健医療福祉行政論」の講義を担当する京都府保険医協会の元事務局長・久保佐世氏の要請を受けたもので、広川恵一顧問が「災害と医療者」、足立了平副理事長が「医療者として知っておきたい制度知識-歯科医療制度」をテーマに、それぞれ年に一度講義を行っている。5年目を終えた今回、看護学生への講義を通しての考察や期待、医療者と保険医運動の果たす役割など、3人に語っていただいた。

 足立 お忙しいなか、兵庫保険医新聞の企画にご協力いただきありがとうございます。実は私が兵庫協会の新聞部長を務めておりまして、久保さんと広川先生、そして私で佛教大学の看護学科の授業を担当するつながりで鼎談をお願いしました。久保さんと一緒に受け持たせていただいている講義は「保健医療福祉行政論」ですが、かかわった経緯などをお聞かせください。
 久保 京都府保険医協会在職中に、現在副学長の岡崎裕司先生から声をかけていただいたのがきっかけです。国家試験科目ですので、まずは教科書にそった内容の学生の理解を、合格ラインに引き上げる必要があります。一方で、それだけでは全く不十分で、もっと大きな考え方や姿勢を身に着けることが必要です。
患者さんの背景を見ることができる看護師に
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広川恵一(ひろかわ けいいち)
1977年神戸大学卒。1979年兵庫県保険医協会入会。1988年7月西宮市で開業。兵庫県保険医協会副理事長、全国保険医団体連合会理事等を経て、現在兵庫県保険医協会顧問

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久保佐世(くぼ さよ)
1978年立命館大学卒。財団法人・京都自治問題研究所を経て、京都協会・中野信夫理事長に師事し、1981年京都府保険医協会に就職。2017年定年退職。佛教大学保健医療技術学部非常勤講師

 足立 具体的にどういうことでしょう。
 久保 私は常々学生に「看護技術だけを身につけても、いい看護師にはなれない。世の中には、病気や障害があっても医療にかかれない人がいる。一人ひとり病態がちがうように、社会生活や生活の中で抱えている困難がある。そこを見ることができる看護師になってほしい」と言っています。そういう観点から、当然国家試験のクリアに必要なカリキュラムと同時に、社会と医療者の関わり、患者さんの背景にあるものを、幅広く知ることができるような講義の組み立てをしています。
 足立 たしかに社会の仕組みなどバックヤードを把握してこその看護であって、そこを抜きに、医療だけが成り立つのではありません。シラバス(授業計画)を見ると、非常に多岐にわたっています。
 久保 とにかく患者さんの背景を学生と共に考えられるよう意識しています。働き方、家族の困難、貧困、平和、環境問題等と課題は様々です。講義では最初に医療保険制度を講義します。この国民皆保険制度の中で看護師という職業が成り立つし、医療を提供できることを知ってもらう必要があります。日本の医療制度の非常に優れたところ、また問題点の理解に力を入れています。その次にアメリカ、イギリス、中国等の医療制度と比較し、より日本の医療制度を深くつかむことができるようにしています。生活保護や介護保険の講義も組んでいます。今年は働き方改革問題を重視し、労働法制と社会保障制度も講義する予定です。昨年から毎回「講義の感想と質問」を宿題にしています。うれしかったのは「やり続けると自分の到達点と講義の振り返りができた」と言う学生が出てきました。自分はどう見たのか、どこがわからなかったのか、どこがわかったのか、をトレーニングする。それを続けると必ず成長します。学生たちは全員が看護師になって現場に入る。他のスタッフとの連携、何よりも様々な面で患者をケアする存在になるためには何が必要か、などを焦点に、人材育成に腐心しています。
 足立 なるほど。たしかに非常によく考えられたカリキュラムになっていますね。その中で、そもそも兵庫協会に声をかけていただいたのはどういうことからでしょうか。
 久保 私は就職以来、兵庫協会の朝倉宏事務局長(当時)から野村和夫先生(元副理事長、保団連副会長)、池尻重義先生(元理事長)などを紹介いただいたのをきっかけに、兵庫協会の幹部の先生方・事務局の皆さんの議論や懇親の場にたびたび声をかけていただきました。そうした場を通じて、第一線医療の担い手が、非常に優れた政策論議をしていることを知り、心の底から驚きました。兵庫協会の皆さんは私に保険医協会の仕事の喜びを教えてくれた恩人です。それ以上に、長年兵庫協会の活動を外から見ていて、組織の安定感と実績、そして何よりも机上の空論でなく、フィールドワークの実践レベルなど、あらゆる面が保団連内でずば抜けていることを実感していました。講義を組み立てるとき、そうした伝統を引き継いでいる兵庫協会の先生方にぜひお願いしたいと考えました。
 広川 久保さんは、昔から保団連では診療報酬のエキスパートで、わたしもよく知っていました。
 久保 2002年に保団連政策部で「医療保険と診療報酬」を発行したときに、当時理事だった広川先生に高評いただき、すごく励みになったことを覚えています。また「医科歯科連携をトータルで語れるのは足立先生」と兵庫協会に推薦をいただきました。
 足立 大変高い評価をいただき、非常に光栄です。そうした兵庫協会への信頼感の上で、我々の講義が位置づけられ、具体的テーマをご依頼いただいたのですね。
 久保 そうです。これまでも731部隊の問題を京都協会の吉中丈志先生、また公害の問題を京都大学名誉教授の小泉昭夫先生に、地域保健の問題では京都協会の事務局の方にも、講義を担当していただきました。多岐にわたる社会問題を学生とともに考えることができるように、多くの人の力を借りました。広川先生、足立先生には先生方ならではの課題を依頼しました。広川先生には「災害と医療者」をお願いしていますが、災害時も事後も必ず求められる医療者が「どういう人材か」は、人の命や暮らしを規定する大きな問題です。阪神・淡路大震災から、ずっとこの問題で活動を続けておられる広川先生に、学生に医療者の姿勢を伝えてほしいと考えました。今年も広川先生の講義に対して学生が「このような問題を今まで考えたことがありませんでした」と言ってきました。身近に頻発している災害という問題を、看護師を目指す学生が「考えたことがなかった」と。でも、考えるきっかけをつくることに講義の意味があります。足立先生には「歯科医療」をお願いしましたが、二つ学生に伝えてほしいことがありました。一つは、「口から見る貧困」という切り口で問題を捉えておられた兵庫協会の取り組みです。口腔内の衛生の問題はそういう目で見る必要があることを学生に教えてほしいと思いました。もう一つは、実際の臨床の現場で、先生もおっしゃっているように歯科を学ばないで、あるいは歯科の医師と連携しないで今の医療は成り立ちません。それを知らないまま看護学生が巣立っていくことを避けたいと思いました。これらの重要性をトータルで語っていただけるお二人には非常に感謝しています。
課題を見つけていく姿勢の重要性
 足立 非常に考え抜かれて依頼を受けたことがわかり、改めて身が引き締まります。広川先生、5年間講義を担当されて、看護学生に伝えたいことで特に意識されていることはありますか。
 広川 私はナイチンゲールの看護論を話しますが、内容は弁証法そのものです。「看護の覚書」が中心でその中の「生命力の消耗を最小にするように暮らしを整える」ことがポイントです。ナイチンゲールがクリミア戦争時にトルコ・スクタリのイギリス陸軍病院に行ったとき、シスターが「これから気の毒な兵士たちをなぐさめましょう」と言いましたが、ナイチンゲールは「金盥を用意して足を洗うことから始める」と返します。この場合、心の問題ではなく清潔の問題というわけです。陸軍病院では「あなた方の仕事はない」と言われましたが、ナイチンゲールは誰も管理をしていなかったトイレに着目し、ここを清潔にし続け、病院衛生管理の機能的な責任部署をつくりあげました。その中で、42%だった死亡率が1年後には2%まで下がります。衛生管理の重要性ですが、ここで大事なのは、彼女の自分で課題を見つけていく、問題解決のための本質をつかむ、その中で自分の居場所、役割発揮の場所をつくる、という姿勢そのものです。そういう話を学生たちにしています。
 足立 確かにナイチンゲールが有名になったのはクリミア戦争でしたね。災害も戦争と共通した基本的な部分がありますね。私はお話を受けたときに、看護学生に身に着けていただきたいことを大きく二つ考えました。一つは医学的な観点からの「口腔内の重要性」です。口の衰えはたとえ軽微であっても全身状態の低下につながっていきます。以前は看護教育には歯科医師による講義が必須でしたが、今はそうなっていません。にもかかわらず現場では看護師が口腔ケアに直面しています。ヘンダーソンは、有名な「看護の基本となるもの」の中で「意識のない患者の口腔を安全に清潔に保つことが看護の質を表す」と書いています。これは私の経験とも一致します。もう一つは口の中から、何が見えるのか気づいてほしい。口腔内は貧困や虐待など、社会を映す鏡であると言われます。そうした社会性を持った目で口を見る習慣をつけてほしいと思っています。なかなかそこまで学生が到達するのか、非常に不安に思うこともありますが、その点では広川先生、どのようにお感じになってますでしょうか。
 広川 やはり物事は批判的精神がないと深い理解は難しいと思います。私の話にしても「先生はそう言うが、それで果たしていいのか」という意見を出してほしいし、自分が思ったことをさらに深める姿勢が大事です。例えば「震災時ボランティアは、地元の人に支えられてこそ活動ができる。何よりも復興の担い手は地域住民であり、その人たちを弱者扱いするのはゆるされない」という話をしましたら、講義後学生からは「今までボランティアは助けることだと思っていたが、ボランティアが地元の人に助けられる、双方の関係があることに気づいた」という意見を、少なからずもらいました。
 足立 そのように学生が変化していくのを体験することが、なにより楽しみです。私の経験でも、学生が「病気は人を区別しない」と書いたことがありました。それに対して私は「災害も、病気も人を区別している。健康にも災害被害にも格差がある」ことを具体的事例なども交えて解説しました。医療費の財源についても「日本はお金がない」と刷り込まれて、医療保険制度や介護保険制度の持続性に不安を表明する学生がいます。しかし、大企業にはお金がたくさんある、ここに財源があることを知らせています。逆にこうした講義がないまま、社会に出る方が怖いです。私が阪神・淡路や東日本大震災の話をすると「まだ災害のことをしつこくやっているのですか」と言われることがあります。しかし災害は社会の脆弱なところを突いてきますから、災害を学ぶことで社会性を認識するきっかけになることも多いのです。
 広川 久保さんの講義には映画『シッコ』(SICKO)を観るカリキュラムもあり、以前感想を見せていただきました。「アメリカの医療制度はカネで支配されていることがわかった」「フランス、ドイツについてもっと知りたい」などの感想が寄せられ、知的要求が伺えました。単に教育が知識の切り売りになっていれば、ああいう感想は出ません。講義が「自分の頭で考える人間を求めている」ことを、学生も理解していると思いました。また講義で学生に放射能の話をしました。セシウムは半減期30年ですから、東日本大震災から11年経った今も8割弱のセシウムが残っています。汚染水を海中投棄する。それを「風評被害」というすり替えがありますが「実害」です。そこで生活する人の話を抜きに、想像力をはたらかせないで「仕方がない」という話ではない。そういうことを伝えながら、学生には社会と向き合う目と構えを養ってほしいと思います。
社会的問題意識を育む
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社会と向き合う目と構えを養ってほしいと広川先生

 足立 わたしはそもそも阪神・淡路大震災の経験から、災害に強い歯科医療者養成にかかわりたいと、市民病院を定年前に退職し、 神戸常盤大学に移りました。災害の授業を三つつくり、看護学生を対象にしたカリキュラムを持ちました。文科省からも補助金を受け、学生を1960年に医療費無料化を実施した岩手県沢内村に連れて行き、岩手県立大学と共同授業を企画しました。日本の医療保険制度の原点を見せるためです。この時代にいつでもだれでも受診でき、医療費の自己負担が無料であったことや乳幼児死亡率がゼロになったことなどに皆驚きます。このカリキュラムの2年目の3月に東日本大震災があり、これに参加した学生が卒業式に募金活動したいと言い出したのです。実地で交流すると、学生が自発的に活動することがあるのだということを経験して、私はうれしかったです。
 広川 学生に講義で話しましたが「医は仁術」という言葉があります。もう一つ付け加えて、「徳は孤ならず必ず隣あり」。わずかなものであってもそこに留まらず、いいことは広がります。講義で、熊本地震である歯科衛生士さんが「口腔ケアをしないと肺炎で亡くなる人が増える」と危機感をもち、自分の判断と責任でお年寄りの口腔ブラッシングをすすめた話をしました。非常時には非常時の対応を行う、しかも自分で課題を見つけて動く、こうした姿勢が大切だと思います。このことなどは、足立先生が長年取り組まれてきたことが広がっている証だと思います。風水害の停電中の在宅ケアスタッフの対応も話しました。寝たきりの人のオムツ交換は携帯電話のライトを使って行う、暑いので保冷剤を持って来る、家からポットにお湯を入れて清拭に来る。つまり与えられた条件の中で、それぞれが工夫をしながらやる。そうした医療現場の実践の中で人間性が育っていきます。兵庫協会にはそのマインドがあり、それが「知らないうちに伝わっていく」ことが大事だと思います。人のことを考えられなかったら自分のことも考えられない、いろんな人とかかわりをもつからこそ、自分が存在する。自分の都合ばかりを考えていたら、自分自身も疲弊する。多くの人とかかわり、マインドを伝えながら、地域から学ぶ機会をつくる、これこそまっとうな保険医運動ではないかと思います。
 足立 なるほど。看護学校・大学を出て、ほとんどの看護師はまず病院に勤務します。もちろん基本の看護技術・知識は得られますが、政府が「こうしますよ」と言ったら、それに疑問を持たず、その範囲で最大限効果を上げることしか視点がなくなるのではないか。つまり必要な社会性がどこで育つのだろうと、常々思っています。労働組合活動などを通じて別の視点を持つ機会があればいいのですが。
 久保 そういう機会の一つとして、先生方に講義をお願いしています。指示を出すドクターの意識は看護師の成長に反映します。私が保険医協会の先生方に講師をお願いしているのも、学生時代にそうした社会的問題意識を持ったドクターが存在することを知ってほしいからです。任意団体で10万人もの先生方が結集し、常設でこれだけのレベルの事務局が置かれ、多岐にわたる社会的役割を果たしている団体は他にありません。私の講義を通じてこの組織に触れることが看護学生にとって有意義であり、医療界にとっても大きな意味を持ちます。口幅ったいですが、全国の保険医協会の会員の先生方にも、逆にそういう活動をしていることを知っていただきたいと思います。
 足立 医療現場で大事なのは自律性です。歯周病をみて糖尿病に思いが至るとか、ブラッシングができていない場合家庭環境に問題意識がいくとか、そういうことが求められます。しかし教員の側にその観点がなければ、教科書を後追いする教育しかできません。私はそれが不満でずいぶん問題提起しました。きれいなフローチャートをあてはめても、それが通用する患者さんはわずかです。看護教育も同じようことがあるのではないかと思っていました。今おっしゃった保険医協会との接点など、久保さんが組んでいる、学生に社会とのつながりを意識させる講義を受けられる学生は幸せではないかと思いました。それを自分のこととしてとらえられるよう身近なテーマとして、災害・歯科医療を選んでいただいて、私たちに声をかけていただいたのはありがたいですね。学生のレポートも提出されていますが、広川先生これをご覧になっていかがでしょうか。
 広川 例えば学生たちはとても善意であって、「寄り添う」という言葉を使いますが、結局相手を弱者として見ている「同情の表現」になっていることもあります。それに対して私は岡村昭彦の「同情は連帯を拒否したところに生まれる」という言葉を引用して説明しました。つまり「あなたと違う」と考えるから同情が生まれる。もちろん学生はそんなつもりはなく、ただ適切な言葉が思い至らないだけだと思います。同じような例ですが、私自身は「心のケア」という言葉を使うことはないのですが、「心」は個人の問題ではなく、それに深刻な影響を与える社会構造の物理的背景をとりのぞかなければ、解決しないことも多いです。つまり「心が弱い人間だからそんなふうになった」のではないのです。運の問題もそうです。まず社会的な構造があって、運はそれに左右されることもあります。学生時代にセツルメントで子ども会活動をしていましたが、その地域では100年も前に建てられた建物を四つにも、八つにも仕切って暮らしている。当時の状況として結核の患者が多いだけでなく、地域の子どもたちに、いろいろな面で問題が起こるのも、そうした社会的環境があるだと思います。
保険医運動を原点に-患者の生活に向き合った医療を
 足立 確かに「寄り添いが大事」というレポートはたくさん見ましたね。深く考えると難しい問題ですね。教育も臨床もやはり国の政策に翻弄されます。だからこそ国のあり方を考えることを、教育でも臨床でもやる必要がある。久保さんは看護教育に携わりながら、今後のあり方に対して提言はありますか。
 久保 看護教育に携わる視点も、原点は保険医運動です。日本の開業医が本当に患者さんたちの身近にいて、生活に向き合った医療をしている。それを崩す国の低医療費政策に抗し、制度をもっと国民のために良いものにしようというのが保険医運動の根幹であり、その担い手が保険医協会です。将来看護師になる学生に、この立場に立ってほしいと思っています。
 足立 広川先生、今の久保さんのお話を受けてどうでしょうか。
 広川 同志社の創立者の新島襄の言葉に「良心の全身に充満したる丈夫(ますらお)の起り来(きた)らん事を」つまり「良心が全身に充満した若い人たちが現れることを願う」というのがあります。看護学生への講義の目的もそうでしたが、教育にはそういう願いがあり、また良心は地域の中で、さまざまな経験を共にして支えながら前向きに答えを出していく、そうした中で養われると思います。保険医協会の組織はそういうところだと思います。そして良心を社会的に具体化していく、良心は人すべてがもっているもので、それが発揮できることが大事ですね。勝ち負けの論理、お金がすべてなどの風潮に対抗するのが良心です。この点について講義では岩見ヒサさんという女性を紹介しました。岩見さんは岩手県の元開拓保健婦で、1日に4時間も5時間も離れた場所に、家庭訪問を続けていました。岩手県に原発設置の話が持ち上がった時に「お金(交付金)の問題ではない」「自分たちの村を、自然を、守らないとあかん」と皆に話し、最終的に原発を受け入れないと村民が一致しました。彼女の良心に人びとは信頼を寄せたわけです。お話を伺いに訪問した際、彼女は自分のことはひとことも語らず「自分のところがよかったということではなく、他のところが心配です」と言われました。岩見さんは97歳で亡くなられましたが、兵庫協会の被災地訪問があったから岩見さんに出会え、大切な真実を紹介できる。そういう出会いがある保険医協会の活動は非常に重要で、看護学生にも、また多くの人々にも存分に伝えていくことができればと考えています。
 久保 日本の医療者、医師の先生方には保険医協会に結集してほしいし、そこに結集することで自分がやりたい医療を目指してほしいです。私が現役のころも、一番重要な取り組みの一つである診療報酬改定があるたびに、会員への情報提供をめぐっても喧々諤々議論がありました。例えば名称一つとっても「説明会」と言う人がいれば「われわれはやることは説明会であってはいけない。点数に込められた狙いを研究する場だ」と反論が返ってくる。つまり、経営的な評価は個々の先生が判断しなければならないけれど、診療報酬点数には必ず国の低医療費政策の意図が込められている。単に変更点を説明するだけでなく医療者にとってはどうなのか、国民にとってはどうなのか、それを見抜き、解き明かし、運動につなげていく、これが保険医協会の点数「研究会」であることを常に確認していました。そうした立場で分析ができるのは保険医協会だけです。ぜひその伝統を生かし続けてほしいと思います。
 広川 保険医運動は、戦前の無産者医療運動からのものがありますね。生活者の立場に立っての医療活動を始めた。物事を解釈するのは「どの立場に立つか」問われるわけで、やはりわれわれすべて生活者の立場に立つところに、保険医運動の原点があると思います。
 足立 広川先生、久保さんが提起されたように、社会的問題意識をもった医師の存在が看護師の成長にとって不可欠です。人間の体の病理だけではない、社会の病理現象に本質を求め解決のために取り組みを行う。保険医運動の役割の一つとして、今後もこうした立場で看護学生と向き合っていければと思います。本日はありがとうございました。

2022年度「保健医療福祉行政論」毎回の授業のテーマ
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