兵庫県保険医協会

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兵庫保険医新聞

2025年10月05日(2114号) ピックアップニュース

国際部が韓国・大邱市医師会の学術大会に参加
日本の医療制度伝える

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総合学術大会で大邱市医師会のメンバーと記念写真

 国際部は、韓国・大邱市医師会が同市内で9月7日に開催した総合学術大会に参加した。西山裕康理事長が分科会司会を務め、国際部から、水間美宏部長、半田伸夫副理事長、坂口智計理事が演題発表し、30人が参加した。

 大邱市医師会とはコロナ禍に講演を依頼したことをきっかけに交流が続いており、年に1度開催する総合学術大会への参加要請があり応じたもの。大会では、学術的な演題のほか、医療法や医療事故など医療に関するさまざまな講演が行われた。
 水間先生は「COVID-19 measures learned from Daegu, Ultrasound at the fever outpatient clinic in Kobe」をテーマに講演。初めに大邱市でのコロナ対応の学習会をきっかけとした協会と大邱市医師会との交流の経過を紹介。勤務する病院では、CT検査室と発熱外来の出入り口が近く感染拡大防止のためCTが使用できず、ポケットエコーなどポイントオブケア超音波によりコロナを含む検査を実施した例を紹介。参加者からは「韓国では寝たきりの患者以外に超音波検査を実施することは少ない。災害時などCTが使えない時にも有用だとわかった」などの発言があった。
 半田先生は「What is a General Practitioner(GP) or Home Doctor?」をテーマに講演。日本の一般開業医は慢性・急性疾患の診療の他、手術も実施し、必要な場合には病院の専門医に送る役割を果たしていることを、自院での事例を紹介しながら示した。その他、韓国と保険適用となる診療範囲の違いや、日本では大病院への受診には紹介状が必要など医療制度の違いを紹介。参加者の「イギリスのような登録医制度についてどう思うか」との質問に対し、「フリーアクセスを阻害する制度には反対」と回答。その他、GPとしての開業を考えているが必要な設備は、などの質問も寄せられた。
 「フレイルにおける医科歯科連携」をテーマに講演した坂口先生は、口腔内の環境が悪いと食事が制限され低栄養状態になり、フレイル(虚弱)状態に陥ると指摘。身体の衰えのスピードを遅らせるためにも、医科歯科をはじめ多職種で連携して患者の状態を管理していくことが重要だと訴えた。参加者からは「韓国では日本の地域包括ケアシステムのような、『地域社会統合ケア』が始まるが、そこに歯科医療は含まれていない。歯科の重要性がわかった」などの感想が寄せられた。
 分科会の最後には、日韓両国の医療界の協力を深めたことから西山理事長に功労賞、演題発表者には感謝状が授与された。
 また、大会の前後では懇親会が開かれ、日韓の医療情勢や改善点なども共有した。
[報告] 韓国・大邱訪問記
過去を学び未来に向かう  国際部長 水間 美宏
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大邱市医師会の方々と①90階段、②③達城韓日友好館などを訪れた

 2025年9月7日、韓国・大邱市医師会の学術大会に招待され、大邱市医師会と兵庫県保険医協会理事長の司会で国際部の3人が講演しました。
 私は日韓の歴史を学ぶため、1日早く大邱に行きました。自分で市内を回るつもりでしたが、大邱市医師会から申し出があり、私が希望した全ての場所を案内してもらいました。
【達城韓日友好館】
 豊臣秀吉が朝鮮を攻めた時、日本側から朝鮮側についた沙也加(=雑賀?)の記念館です。沙也加の行動は、豊臣秀吉に義はないとし、朝鮮の民が老母を背負って避難する姿に孝を感じたからとの説明がありました。
 もっとも戦国時代に敵が味方に味方が敵になるのはよくあったことで、国家のために国民が戦うという概念は、明治に国民国家が成立し徴兵制ができてからのことです。沙也加から、日本人あるいは日本という概念にとらわれず、ひとりの人間として世界の人々に向き合うことを学びました。
【国債報償運動記念公園】
 大韓帝国は近代化を進めるために日本から巨額の借款を受けいれました。大邱の書店主・金光済(キム・グァンジェ)らは、これが日本への従属につながると考えて、民衆の力で返済する運動を始めました。
 この運動はすぐに韓国全土へ拡がり、富者も貧者も多くの民衆が費用を拠出しました。運動は未完のまま終わりましたが、その思想は現在の韓国の市民運動に受け継がれたと言われます。
【90階段】
 1919年3月1日に日本統治下の朝鮮でおこった独立運動は、三一独立運動と呼ばれます。独立運動はソウルのパコダ公園から始まりましたが、瞬く間に朝鮮全土へ拡がりました。
 独立宣言の起草者には天道教や仏教のほかキリスト教徒も多く、大邱では大邱第一教会に集まった学生たちが市内へ続く階段を行き来しました。階段はその段数から90階段と呼ばれます。
 その他に大邱近代歴史館や李相和(イ・サンファ)詩人古宅などを巡り、慶北大学病院も見学しました。
 日本と韓国の歴史を学んだ上で、兵庫県と大邱市、日本と韓国の未来に向かいたいと思います。
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