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第97回評議員会・特別講演「菅新政権と社会保障政策の争点」講演録 憲法に基づく社会保障へ

2021.01.05

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神戸大学名誉教授 二宮 厚美

【にのみや あつみ】1947年生。経済学、社会環境論専攻。『新自由主義の破局と決着-格差社会から21世紀恐慌へ』(2009年、新日本出版社)など著書多数

 昨年11月15日に開催された第97回評議員会・特別講演「菅新政権と社会保障政策の争点」(講師:神戸大学名誉教授 二宮厚美先生)の講演録を掲載する。

コロナ禍のもとでの三つのニューディール

 コロナ禍のなかで世界史的にどのような流れが生まれているか。三つのニューディールがあると思う。
 一つは「グリーン・ニューディール」と呼ばれている流れ。これはパンデミックを、人類史を貫く「人間と自然の物質代謝」に対する攪乱として把握する立場からのもので、今回のコロナ禍を、人間による無秩序な生態系への侵入や環境破壊による生命の再生産の危機とみなす。そこで、利潤第一主義による環境破壊と経済的不平等の両方に対処するための経済政策として「グリーン・ニューディール」が注目を集めている。
 ところが、人間の生命の再生産は、この「人間・自然の物質代謝」と同時に、医療・教育・福祉等の社会サービス労働によって担われてきたという面がある。この社会サービスの原点は、人自身を生み育てる営みにあるが、この対人サービス労働は、物質代謝労働=物質的生産労働と並んで人間そのものを生産する精神代謝労働とみなすことができる。
 今回の新型コロナ禍で再発見されたのは、この精神代謝労働の重要性である。「三密」回避に代表されるような、人間相互の直接的コミュニケーションの断絶は、逆に、この人が人に働きかける労働、営みの重要性を浮かび上がらせた。そこで出てきた言葉が「エッセンシャルワーク」だ。人間の暮らしに「必要不可欠」な労働という意味だが、具体的には医療や介護、教育、公務等の社会サービスの他、ライフライン等を担う労働をさす。世界中が改めてエッセンシャルワーカーを大切にしないと社会が成立しないことを再認識した。
 私はこうした分野に多くの資源や公的資金を投入する経済政策を「エッセンシャルワーク・ニューディール」と名付けている。保険医協会が求めている政府による医療機関の減収補填もその一環といえる。
 新型コロナ感染拡大のなかで、世界史的には「グリーン・ニューディール」と「エッセンシャルワーク・ニューディール」の二つが進行し始めたといってよい。
 一方、この二つのニューディールの対抗馬として出てきた流れが、政府の行おうとしている「デジタル・ニューディール」だ。
 菅首相の所信表明演説は大局的な国家観や戦略が欠如したものだったと評価されているが、かろうじて戦略と呼べそうなものをあげるなら「デジタル化の推進」である。「骨太方針」の言葉では、これが、「デジタル・ニューディール」となる。

オンライン化でコロナ禍は解決するか

 では、「デジタル・ニューディール」とは何か。現在のコロナ恐慌の特徴は需要の蒸発にある。インバウンドが99%減少し、飲食・サービス業の倒産・廃業が次々に進行している。需要を補填しないとこのコロナ恐慌は乗り切れないというのが、経済学ではケインズ以来の常識になっている。
 だが、政府はエッセンシャルワークの分野で需要を掘り起こす政策ではなく、供給サイドにおいてデジタル化を進めるという政策を基本にしている。オンライン診療やオンライン教育の推進はその例である。
 『ショック・ドクトリン』の著者ナオミ・クラインは、コロナ禍をオンライン化で乗り切ろうとする戦略を「スクリーン・ニューディール」と名付けた。コロナ禍を「ショック療法」のチャンスとして、デジタル化を一気に進めようというのが大手IT企業の狙いだという。テジタル・ニューディールもこれと同様だというわけだ。
 なぜ政府は需要を高めようとしないのか。エッセンシャルワークの分野で需要を高めることは、必然的に医療・福祉分野を中心にした福祉国家的需要の喚起にいきつくからである。それでは、大企業の競争力を高めて世界市場で高利潤をあげることを基本にした新自由主義に反する路線になってしまう。コロナ禍の中で新自由主義路線の破綻があらわになっているにもかかわらず、菅政権は「デジタル・ニューディール」の新自由主義路線になおしがみつこうとしているわけだ。

「安倍敗戦」処理の菅内閣

 安倍から菅への首相交代はなぜ起こったのだろうか。私は、菅内閣の役割は安倍政権の「敗戦処理」だと思う。
 菅氏は安倍政権の官房長官として、森友・加計学園、桜を見る会の三大スキャンダルを徹底してもみ消し、強権政治を推進してきた。これらの過去をほじくり返さないというのが一つ役割だ。学術会議会員任命拒否は、この強権政治を菅政権が継承したことを示す。
 もう一つ、破綻が明白になっている新自由主義の再建が菅政権に期待されている課題になる。
 実際にはコロナ禍のなかで新自由主義からの転換が国際世論の大勢となり、国内でも、立憲民主党の枝野幸男代表が「新自由主義の破綻とそこからの決別」を公言している。
 これに対抗するように、菅政権は、「デジタル・ニューディール」を打ち出し、社会保障では、ひたすら「自助、共助、公助。そして絆」の言葉を繰り返し、新自由主義に立った「全世代型社会保障」を進めるとしている。

「共助・連帯」の社会保障に転換

 全世代型社会保障とはどこから始まったかというと、2012年、野田民主党政権下の民自公3党合意による「税・社会保障一体改革」の開始にさかのぼる。これは、消費増税により社会保障の充実をはかるという口実の、実態は、エビ(社会保障改革)をエサに大鯛(消費増税)を釣り上げる作戦にほかならなかった。
 第二次安倍政権が発足後に発表した、2013年8月の社会保障国民会議の「最終報告」は、公式に全世代型社会保障への転換を謳った。このときの「全世代型社会保障」というのは、子どもから高齢者までの「全世代」の社会保障財源を将来の消費増税でまかなうという消費税率引き上げの口実にすぎなかった。逆にいうと、消費増税までは社会保障予算は増やさないことになって、社会保障費は抑制され続けた。
 消費税が2014年4月に8%、2019年10月に10%へと引き上げられると、「消費税を使って社会保障充実」という口実が使えなくなる。そこで、社会保障の財源拡充は一切見込めないというイメージに転換する必要が生まれ、政府は2017年の「新しい政策パッケージ」の名で、①高齢者の経費を抑制し、子ども・子育て重視に転換する、②生涯現役社会として働き方改革を進める方針を打ち出した。
 2013年の「最終報告」でもう一つ注目すべきは、社会保障の理念を「権利としての社会保障」から「共助・連帯としての社会保障」へと転換したことだ。
 この報告では社会保障を「自助・共助・公助の最適な組み合わせ」に転換すべきとして、「国民の生活は、自らが働いて自らの生活を支え、自らの健康は自ら維持するという『自助』を基本にしながら、高齢や疾病・介護を始めとする生活上のリスクに対しては、社会連帯の精神に基づき、共同してリスクに備える仕組みである『共助』が自助を支え、自助や共助では対応できない困窮の状況については、受給要件を定めた上で必要な公的扶助や社会福祉などの『公助』が補完する仕組みとする」と記述している。
 これは菅氏が「自助・共助・公助」の意味として語ったことと全く同じだ。

憲法25条に基づく社会保障政策実現を

 この政策はいかなる帰着点に向かうのか。
 年金・医療・介護などの公的社会保険は「租税財源の投入が抑制され」、「保険会計の収支を均等にする」私的保険と同様の制度に向かうだろう。
 もう一つは、租税方式で運営されている子育てや障害者支援では、共助・連帯を強調したボランティアに依存したものになるだろう。
 しかし、これでは、新型コロナの感染拡大のような事態には到底耐えられない。今こそ、憲法に基づく社会保障制度への転換こそが求められる。

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